加害者の今を知ってしまった…「娘の未来は絶たれたのに」中2いじめ、遺族の憤りと煩悶 学校推薦で高校進学、実業団選手に。謝罪はないまま
娘は末っ子で、9歳以上離れた姉と兄がいる。動物好きで、こんなエピソードがある。小3の6月、早朝に灰色のメス猫を抱えて父親の枕元に立っていた。「飼ってもいい?」。前日、勝手口の近くで雨宿りしていた野良猫だという。その時は近寄ろうとしたら逃げてしまったが、安否が気になって朝早くに起き出して探し出したようだ。父親は「ダメとは言えなかった」と顔をほころばせて振り返る。 娘の死後も、下校時間になると猫は窓際から外を見つめ、帰りを待ち続けていた。もう会えないことを悟ったのか、その後は遺品に顔をすり寄せ、匂いをかぐようになった。その姿に今も母親は胸が締め付けられる。 亡くなる直前の夏休みはいつになく行動的だった。花火大会に行ったり浴衣で夏祭りに出かけたり。父親はこう思っている。「今振り返れば思い出作りだったのかな」。母親は一緒に加古川駅近くを歩いていた時のことをよく覚えている。道ばたで困った様子の人を見つけると、駆け寄って声をかけていた。
「亡くなる直前まで人に優しかった」。普段と同じように振る舞い、家族には弱音を吐かなかった。2016年9月12日の朝。「お弁当に梨入っている?」「梨はみんな好きだから。帰ってからみんなで食べようね」。これが最後の会話になった。 それ以来、食卓に梨が出ることはなくなった。母親は娘と何度も一緒に買い物した近くのスーパーには今も行くことができず、少し遠くの店舗を利用している。 小さい頃は、将来の夢はケーキ屋さんやトリマーと言っていた。ただ、友達には別の夢を語っていたようだ。それは「お嫁さん」。恥ずかしかったのか、両親には言わず、亡くなった後に弔問に訪れた幼なじみから聞いた。大人になった娘の「お嫁さん姿」はどんなだったろうか。思いをはせることしかできない。 冷たくなった娘の髪の毛を洗っていた時、母親は出産直後の病院で娘を沐浴させた時のことを思い出したという。姉や兄の時と違い、入院中に母子同室で過ごすことができた。傍らで眠る娘。「この子を絶対に手放さない」と誓った。こんな終わりが来るとは思いもしなかった。「どうして?」。今も同じ問いに苦しめられている。父親は言う。「ずっと同じ場所にとどまっている」 ▽断ち切れない思い