4年後に持ち越された小林陵侑の”2冠”偉業の悲願はミラノ/コルティナ五輪で達成されるのか?
2人の飛距離を合計すると、小林が142mプラス138mで280m、リンビクが140.5mプラス140mで280.5mで0.5m及ばなかった。飛距離点にすると、わずか0.9点差だ。それでも小林の美しい飛型は、1回目に57.0点、2回目に56,5点と評価され、両ジャンプ共に56.5点だったリンビクを0.5点上回っていた。 単純に差し引きすれば、0.4点差だったはずが、結果的に3.3点差となった理由は、「ウインドファクター」と呼ばれる、風による不公平を補正するための減点、加点のシステムだ。 ジャンプでは追い風が不利、向かい風が有利となるため、その風速に応じて、追い風なら加点、向かい風なら減点となる。勝負の2回目、リンビクは3.5点が加点され、小林のそれは0,6点だった。 どちらも追い風だったが、リンビクがより厳しい追い風の条件の中で飛んでいたことが、勝敗を分けることになった。風という運も、小林に味方をしてくれなかったということだ。 言い換えれば、それほどラージヒルの優勝争いが僅差のハイレベルで展開したということにもなる。 「普段のワールドカップで見られないような熱い戦いがあった」と小林が言う。 つまり、そういう欧州の強豪選手を向こうに回して、“2冠“を達成するのは、至難の業。ジャンプの長い歴史において過去にマッチ・ニッカネン(フィンランド)、シモン・アマン(スイス)、 カミル・ストッフ(ポーランド) の3人しか達成していないのも納得である。 “2冠“の夢は、4年後のミラノ/コルティナ・ダンペッツォ五輪へ持ち越されることになった。 「勉強になった。この4年で成長できた自分を感じた」という小林は「本当に調子が良かったら、チャンスがあると思う」と悲願への思いを語る。 4年後にジャンプが行われる会場のバルディフィエメは、スキー競技のアルペン種目が行われるコルティナ・ダンペッツオと主会場のミラノとの間にある。バルディフィエメは、W杯や、世界選手権が開催されている場所で、小林も2019年1月のW杯で優勝経験のあるジャンプ台。当時、6連勝目を果たした演技のいい場所だ。 踏み切り付近の傾斜が緩く、タイミングを合わせるのが難しかった北京のジャンプ台と違い、オールドスタイルの設計で、実力が、そのまま結果に反映される可能性の高い会場となる。山間の谷間の立地のため、今回と違って風は安定しているが、距離を伸ばすには不利な追い風が吹く。小林は柔軟性を生かした飛型と、足首の柔らかさから、追い風を苦手としない。小林にとって得意のタイプのジャンプ台であり、2冠のチャンスが整った場所だと言っていい。飛び慣れているのは欧州のライバル達と同じだが、小林が優位に立てる条件は揃っている。 4年後は29歳。技術、体力ともに脂がのりきった状況で迎えることができる。 14日には最終種目の男子ラージヒル団体戦が行われる。 「団体戦もビッグジャンプを見せたいと思う」 3つ目のメダルを狙う小林は有終の美を飾る大ジャンプの披露を約束した。