分散化が重要、その理由をもっと議論しよう──グローバル独占の弊害を考える
デジタル化によるグローバル独占の時代
だが、地域ごとの製品やバリエーションが存在した世界は少しずつ消えていった。デジタルテクノロジーによって規模とインテグレーションが可能になったからだ。何十年もかけて、大規模生産とデジタル化が、何千もの小規模ブランドや企業を消し去っていった。これは、私たち皆にとって良いことだった。現代のグローバル経済では、ラジオ、テレビ、衣服は昔よりはるかに安価になった。 しかし、規模によって製造が集約化され、モノは非常に安価(かつ画一的)になった一方で、デジタル化はまた、中央集権化されたデジタル独占とカルテルの新しいグローバル時代をもたらした。これは良い結果ではなかった。 その根本原因は、デジタルマーケットプレースはほぼすべて自然な独占の結果であり、ソフトウエアやネットワークがほぼすべてのものをデジタルマーケットプレースへと転換させていることだ。 タクシーに乗る、というシンプルな体験を例にとってみよう。子供の頃、タクシーの乗車体験は場所によって異なるものだった。ロンドンでは高価なぜいたく。アテネではお手頃で便利なもの。ニューヨークでは、特に空港への行き来の場合は避けることができないコスト。 すべてが異なっていて、ユニークだった。しかし今では、すべてがライドシェアのデジタルマーケットプレースになってしまった。2つの会社が世界的にこの業界を支配している。 ソフトウエアとネットワークのエコノミクスによって、このような状態が不可避となっている。メッセージであれ、ライドシェアであれ、ネットワークの価値はユーザーが増えれば増えるほど大きくなる。ユーザーが多ければ多いほど、そのネットワークに参加する魅力が高まる。時間とともに市場リーダーに追いつくことはますます困難になり、いずれほぼ不可能となる。 誤解しないで欲しい。このプロセスは、ビジネスの変容にとっては極めて価値あるものだ。マーケットプレースをデジタル化し、完成させるための投資の初期段階は極めて難しいが、莫大な価値を生む。 ほぼすべての都市で、運転手と乗客をマッチングさせるためのリアルタイムシステムを開発し、GPS地図やナビゲーション、価格設定モデル、評価システム、支払いシステムを統合することは非常に困難な大仕事だ。その結果生まれたシステムはあまりに素晴らしく、初めてライドシェアを利用する時には、魔法のように感じられるほどだ。車に乗り込み、目的地に連れていってもらい、車から降り、立ち去るだけなのだから。