『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』はなぜ伝説となり、商業化したか。著者・小原晩に訊く
時間を置いたから書けること。商業版で追加された新たな魅力
─商業版では、新たに17篇のエッセイを追加されていますね。その意図や経緯を教えていただけますか? 小原:もともと、1篇1篇が短かったり、収録作も多くはなかったので、判型がコンパクトな私家版だから成り立つ程度のページ数しかなくて……。商業版で発売するために、ページ数を増やさなければならなかったんです。担当編集者さんと「少なくとも倍は増やしてください」「それは無理です」とやり取りをしつつ、最終的に17篇の追加に落ち着きました。 小原:むずかしさはありましたが、結果的にすでに私家版を読んだことのある人でも、楽しんでもらえる内容になったのではないかと思います。 ─書き下ろしで新たに入れるエピソードはどのように決めましたか? 小原:新たに書いたものは、私家版をつくっていた当時も書こうとはしてみたものの、上手く書けなかったものが多いです。大事にしたこととしては、すでにある『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』のトーンを崩さないというか、ある一定の明るさを保ちながら書きたいと思っていました。 ─私家版当時は上手く書けなかったことというと、例えばどんなことですか? 小原:「銀座、ふたりきり」とかは当時、上手く書けなくて、今回追加しました。このエッセイが入っている「若者」という章では美容室を転々としていたときの話を書いているんですけど、私家版当時はどうやって美容室を辞めたかまでは書いていなくて。時間を置いて、どういう流れで辞めたかについて冷静に書けるようになったのかなあ。 あとは、恋愛の話も足しました。「タコとうんめい」っていう作品です。当時はどう書いていいかわからなかったけれど、いまは書けるようになって。なんで書けるようになったのかと言われるとはっきりはわからないんですけど。
「そのエッセイが求めている完成形がある」。小原の執筆作法と又吉直樹の影響
─エッセイでは、つい最近のこと以外にも数年前、あるいはもっと前の思い出を書かれることもあると思います。エピソードはどこかにストックされているのですか? 小原:『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を書くまでは、とくに何かを書こうと思って生きてきたわけではないので、特別メモとかがあるわけではないです。 どちらかというと、音楽を聞いたり、散歩したりしているときに、「あ、この道はあの人と通ったな」とか「このつけ麺屋でお腹いっぱいになりすぎて、テスト中にお腹を壊したな」「あの人ファミレスでスクランブルエッグを醤油で食べてたな」とか、そういうのを思い出します。 ─記録していなくても、臨場感を持って文章化できるのがすごいと感じます。その要因は何だと思いますか? 小原:「記憶力がいいんですね」って言ってもらうことがあるんですけど、そうでもないんですよね。最近、友達に「あのときディズニー行ったじゃん」と言われて、私はまったく覚えてなかったんです。「それ私じゃないよ」なんて言ってたのにディズニーで一緒に撮った写真が出てきたのは怖かったです。 たぶん、覚えていることと覚えてないことが結構分かれているんでしょうね。こころが揺れた瞬間に関してはよく覚えているようで、それも、あのとき、相手のかけていた眼鏡の端っこに朝日が反射して光ったな、とかそういう細部を中心に覚えていることが多いです。 ─そうやって思い出されたエピソードは、どのように編集しているのでしょうか? 小原:ただそのまま書くのではなく、そのエッセイにとって必要な言葉かどうかを見定めながら調整しています。その出来事が起こったときの気持ちをあらためて思い出すというよりは、作品として面白いかどうかを重要視しています。なんとなく、そのエッセイが求めているかたちがあるような気がするんです。 小原:あと、私が作家になったきっかけの一冊に又吉直樹さんの『東京百景』(角川文庫)というエッセイ集があるのですが、本当にいろいろなかたちで文章を書かれているんですよね。小説のようなものもあればコント脚本のようなものまで。だから、エッセイはこんなふうにいろいろな輪郭を許してくれるものだという感覚があるのかもしれないです。