かつて誰よりも恐れた認知症を「発症してしまった元脳外科医」...彼が「仲間」に向けて発したメッセージの裏にある、家族だけが知る「葛藤」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第33回 『元脳外科医が認知症になって知った「発症して失われる力」と、それでも変わらない「大切なもの」』より続く
「私は私であることがやっとわかった」
それでも晋が、少しずつ、少しずつ、言葉を失っているのは明らかでした。 自分で原稿やメモを用意することは、だいぶ前からできなくなっていました。 たとえ用意できたとしても、もう読めなかったでしょう。 でも、リラックスした雰囲気のなかでは十分に自分の言葉で話せるし、答えやすく工夫された質問であれば、やりとりは十分、可能でした。 神戸講演が行われた同じ年、私たちはDIPEx JapanというNPO法人のインタビューを受けることになりました。患者本人の語りを記録・保存する活動をしている団体です。 インタビューの場所は我が家の書斎。インタビュアーと晋のふたりだけで取材が行われ、私は物陰でそれを聞いていました。
認知症になって良かったこと
一対一の会話がよかったのか、晋はとりわけ伸び伸びと自己を語っていました。 当時は近くの公園に毎朝ラジオ体操をしに出かけていましたが、そのことにも触れています。 質問者(以下「質」):(クリスティーン・ブライデンは)「アルツハイマーとはどんどん余分なものが取り払われて本当の自分になっていく」とおっしゃっていたけれど、その感じはいかがですか。 晋:今まで自分が何かいいことをしたとか、そういうものが私たちではないんじゃないかと思うんです。 大切なことは私たちが本当の自分と出会うことじゃないかと。自分が自分になって他の人と一緒に歩んでいけるというところが大切なんじゃないかと思いますね。 質:病気になってよかったなあ、と思われることってありますか。 晋:いいですよ。友人がいろいろ来てくれたり、友人のなかにスッと入れるようになった。いろいろな人とも一緒に行けるようになったし、それはすごくよかったですね。 朝のラジオ体操はいつも一緒にしているんですよね。毎日。そういう中でもいろんな人たちがいて、そこで話をしながらやっている。そのへんがすごくいいですね。誰でも一緒に行ってエンジョイできるところではあるんですね。何でもいいわけですよね。そこのところでは。