性虐待の後遺症か、夫婦仲は壊れ、うつで育児困難。でも、2人目の催促の圧が。「虐待の連鎖」という言葉に縛られて
◆我が子を愛することは恐怖を伴う 物語の主人公は、便利屋を営む多田啓介と、多田の同級生の行天春彦。常識人の多田と破天荒な行天。正反対の2人の掛け合いが楽しく、笑いを誘う場面も多々ある。だが、多田と行天にはそれぞれ重い過去があり、時折その痛みが表にこぼれ出す描写に、何度も自身を重ねた。 “「親に虐待されて死ぬ子どもはいっぱいいるのに、虐待した親を殺す子どもがあんまりいないのは、なんでかな」” 行天が漏らしたこの台詞を、今でも思い出す。なんでかな。なんで私はーー。そう思いかけて、立ち止まる。これでよかったのだ。彼らを殺すのではなく、逃げる選択をした。私にその選択を与えてくれたのもまた、物語だった。 夫との関係にどれほど悩んでいようとも、生活は続く。子どものご飯を作り、オムツを替え、トイレトレーニングをして、外に連れ出し、同時に家事をこなす。 前回のエッセイで綴った通り、この時期の私はうつ病を患っていた。しかし、どんなに「起きたくない」と思っても、日がな一日寝込むことは許されなかった。私が起き上がれずにいると、長男は窓から脱走を図る。時には、癇癪を起こして外ぐつを投げつけられることもあった。 外に行きたい。思いっきり走り回りたい。その欲求はとどまることを知らず、雨の日だろうとお構いなしで外遊びをせがまれた。息子の望みを叶えてやりたい気持ちの裏側で、「この子がいるから休めない」とも思った。 “「彼は子どもがこわいんです。自分が子どものときに、どれだけ痛めつけられ、傷つけられたかを、ずっと忘れられずにいるひとだから」” 長男を愛おしく思う一方で、私は長男を恐れていた。彼を傷つけてしまうことを、両親と同じ過ちを繰り返してしまうことを、恐れていた。我が子を愛することは、恐怖を伴うものなのだと知った。
◆「できない」に追い詰められる日々 息子を愛している。でも、正しい母親でいられる自信がない。息子の父親との関係もうまく築けない。うつ病による倦怠感は凄まじく、家事を手抜きするよりほかなく、徐々に室内は不衛生になった。長男はアトピー性皮膚炎を患っているため、掃除や寝具の洗濯を少し怠っただけで症状が悪化する。肌をかき壊す彼を見るたび、責められているような気がした。 自分は、母親になる資格がなかったのではないか。 妊娠中から何度も頭をよぎった懸念が、再度頭をもたげる。愛されたことのない私が、まともに息子を愛せるのか。虐げることと「教育」の境目がちゃんとつくのか。元夫とは離婚すべきか、しないべきなのか。 私はいつになったら“ふつう”になれるのか。ぐるぐると回る思考に眩暈がした。背中から勢いよく抱きついてくる長男を、「うるさい」と思ってしまう。どうにか飲み込んだ言葉が、腹の中で腐っていく。 連日、虐待関連のニュースがテロップで流れてくる。あのニュースを他人事として眺められる母親が、この国に何人いるのだろう。何人の母親が、薄皮一枚のところを恐る恐る歩いているのだろう。 “「助けてって言ってみな」” 言いたい。「助けて」と、言いたい。でも、誰に?誰に言えば助けてもらえる? わからなかった。わからないから、必死に頁をめくった。「助けて」と思いながら物語を読む。私には、ほかにすがれるものがなかった。だからこそ、もしこの世界に本がなければ、私はおそらく生き延びることができなかったろう。