川淵三郎の「つい口走った」歴史的失言の裏側、会見場を退席し指示した「すぐ電話せぇ」
「オシムが断るわけがないと思ったからね。本人としてはすごい前向きで、(代表監督に)なりたがってたんだよ」
当時、川淵さん自らが「史上最大の失言」と苦笑した会見だったが、結果的にジーコジャパンへの批判を、オシムジャパンへの期待に変えさせてみせた。
プロフィル
川淵三郎(かわぶち・さぶろう)
日本トップリーグ連携機構会長、Jリーグ初代チェアマン。早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。サッカー日本代表として1964年東京五輪に出場。現役引退後は古河電工監督を経て、80年~81年に日本代表監督。Jリーグチェアマン、日本サッカー協会会長(キャプテン)として「日本サッカーの強化」と「地域スポーツの振興」に力を注いだ。2009年に旭日重光章、15年に文化功労者。1936年、大阪府生まれ。