「毎日泣いていました」 あの夏から4年、女性リーダーが準備してきた準硬式らしい夢舞台<準硬式・甲子園大会>
21日に甲子園を使って、大学準硬式は全国大会を開く。三機サービス杯 第3回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦 甲子園大会(以下、甲子園大会)と銘打って、選考基準をクリアした選手たちが、甲子園を舞台に火花を散らす。 【一覧】東日本選抜のメンバーリスト 準硬式の特徴は文武両道でやること。そして学生主体でプレーすることにある。実際、甲子園大会では学生審判を採用。学生主体で試合を動かしていくことになるが、もちろんサポートに回る運営側も学生たちがメイン。特に甲子園大会は選手だけで各チーム40人ずつおり、関係者を含めると、100名近くが参加している。 そんな大規模の大会を、プロジェクトリーダーとしてまとめる鈴置結希奈さんは、「達成感が強いです」と話す。苦労ではなく、むしろ多くことを学び、経験出来たことを嬉しく感じているようだった。 始まりは8月にさかのぼる。全国大会真っただ中のところ、今大会のプロジェクトリーダーを決めるときがきた。第1回から経験している先輩たちがいるなか、今年から大会運営に携わる学生委員に就任した鈴置さんは気持ちは決まっていた。 「『3年生以下で誰がやる』ってこともあったので、やりたい気持ちはありました。けど、前回まで経験されていた先輩もいて、私は1年目で経験も浅い。不安でしかなかったので、すぐに立候補は出来なかったです。でも、先輩たちに背中を押してもらって、今回リーダーをやることにしました」 実は鈴置さん、第1回大会からマネージャーとしてベンチに入るために、毎回志願書を提出してきたが、全て落選。そこで今回は運営側に回って、甲子園大会に参加するために、講習会にも積極的に参加。大会でもアナウンス経験を積むなど、自身のスキルを磨くことで、「下級生の自分でも年功序列に関係なく、選ばれるかもしれない」と思っていた。 それだけ甲子園にかけていたのは、高校時代に思いがあるから。 四条畷でマネージャーをやっていた鈴置さん。家族で野球をやっている人がいた関係で、「毎週末は野球に連れていかれました」と付き合いで野球に触れる機会があったが、そこで「むしろ好きになった」とのめり込み、高校から野球部のマネージャーになった。 チームはもちろん甲子園出場を目指したが、大阪桐蔭や履正社など強豪ひしめく大阪府。しかも1年生の時には大阪桐蔭の2度目の春夏連覇、2年生の時は履正社の全国制覇と、大阪が大いに盛り上がっていた時期。「初戦から大阪桐蔭、履正社にあたることが多く、1回戦、2回戦負けが多かったですね」と苦笑いを浮かべる。そういった状況だったからこそ、「チームは21世紀枠のことも考えながら活動していた」という。 そんななか、最後の夏は新型コロナウイルスの影響で甲子園を目指すチャンスすらなくなった。それが鈴置さんにとって大きな心残りだった。 「春がなくなった時は大号泣しましたね。仮に開催されても甲子園出場は実力的に厳しかったと思うんです。けど甲子園がなくなったことは個人的に立ち直れなくて。今までやってきた3年間が無駄になったくらい毎日泣いていましたね」 入学当初、何でもやってくれる雑用とされることが多かったそうで、「感謝もされないので、『なんでやってんのやろ』って思うことがありました」と振り返る。であれば、中学までやっていたダンスを続けるべきか、後悔すらしたという。 それでも「監督から『マネージャーがチームの一番上に立て』という方針だったので、毎回ミーティングでは発言をしていました」と選手たちと同じ目線に立つことを心掛けた。また、「選手から頼まれたら終わりだ」と言い聞かせて、常に先回りした行動など、とにかく対等に接することができるように工夫してきた。 そんな3年間だったからこそ、集大成の夏に「甲子園を目指せなかったことが悔しい」と思い、大阪教育大でもマネージャー。そして甲子園大会に関わるべく、あらゆる行動を続けたこともあって今回はプロジェクトチームの一員として甲子園大会に参加が決まった。