妄想に終わった歌手デビュー 「スター誕生!」落選で後年に意趣返し「反省してほしいですね」 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<6>
《中学3年生のとき、桜田淳子さん、山口百恵さん、森昌子さんの「花の中三トリオ」の活躍を目の当たりにし、同学年の自分も芸能界に飛び込もうとオーディション番組「スター誕生!」の福島・郡山会場への参加希望のはがきを出した。しばらくして返事がきた》 手にしたはがきには「参加通知」と書かれてました。びっくりしましたね。で、僕は「ええっ、合格なんだ」ってなっちゃった。単なる予選の参加通知だったんですが、合格と思いこんじゃったんですよ。歌謡曲の全盛期で、プロ野球と同じように全国に歌手のスカウト網があって、福島担当のスカウトが僕の才能を見抜いたんだ、と。また親類に都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」などで知られる作曲家の市川昭介さんがいたので、彼の後押しもあったのではないか、と妄想は広がるばかり。 それでオーディション前日の土曜日、クラスのみんなに「僕は明日、『スター誕生!』に出て、その後は東京に行かなきゃいけない。みんなは勉強を頑張ってね。僕はテレビで歌っているから応援してね」と宣言して、翌日曜日に郡山の会場に向かったんです。 《よもやの結末が…》 オーディションで歌ったのは沢田研二さんの「あなただけでいい」。それが出だしのフレーズを歌ってすぐ、審査員が「あ、いいですよ」って言う。「早いな、もう合格か。さすがプロは歌い出しだけでわかるんだ」と思い、「次はいつ東京に行けばいいんですか」と聞いたんです。そうしたら「最後までいてください」って。で、結果はよもやの不合格。一気に奈落の底に落とされました。 「最初の歌い出しだけで不合格にするなんて。大人の社会はひどい」と、忸怩(じくじ)たる思いで帰宅しました。それからは何年も人前では歌わなくなりましたね。で、一番気になったのが翌日の学校です。あんな大口をたたかなければよかった、みんなに何て言えばいいのか、と…。 翌日、意を決した僕は再び同級生にこう言いました。「歌手になるのはやめにした。やっぱりプロ野球選手になる!」。野球部のエースだったので目標を急転換しましたが、みんなはあっけにとられていましたね。
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