絶海の孤島に「女1人、男32人」のおぞましい共同生活 20代の女をめぐって“殺し合い”に発展… 本人主演で映画化されたアナタハンの女王事件とは?
絶海の孤島に、32人もの男たちとともに暮らす1人の女性。生き残ることさえ必死にならざるを得ない過酷な状況の中、妖艶な話も伝わる。不思議なことにに、男たちも次々と消えていった。それは1人の女性をめぐる熾烈な戦いがおきたからであった。いったい、どのようなことが起きていたのだろうか? ■32人の男たちとの共同生活の「おぞましい結末」とは もしも男しかいない絶海の孤島に、女であるあなたが1人だけ送り込まれたとしたら、どんな思いでいられるだろうか? あなたの年齢は20代前半。取り巻く男たちのほとんどが、10~20代の若者たちである。 しかも、絶海の孤島とあって、水や食料を手に入れることさえ至難の技。そんな過酷な境遇の中で、あなたは女1人という侘しさにも耐えなければならないのだ。この苦境を乗り越える自信はあるだろうか? これは現実にあったお話である。時は昭和19(1944)年、舞台は北マリアナ諸島のアナタハン島(サイパンの北150㎞)である。その絶海の孤島に、1人の女性と32人の若き男たちが取り残され、6年もの長きにわたって共同生活を営んだという。 女性の名は比嘉和子(20歳頃か)。コプラ栽培会社勤務の夫とともに島で暮らしていたが、たまたま夫が姉のいるバガン島へと出かけた直後に米軍の空爆を受けた。結果として、島が孤立無援となってしまったのだ。 この時、島にいたのは、夫の上司である菊一郎と和子だけ。そこに、米軍に攻撃されて沈没した日本の漁船から、命からがら泳ぎ着いた乗組員の男たち31人が加わった。以降、女1人に男32人の共同生活が始まったのである。 しかし、孤立無援の島ゆえ、やがて貯蓄していた食料も底をつき、椰子やバナナ、魚、鳥ばかりか、トカゲやネズミ、コウモリまで食い漁って飢えを凌ぐことに。当然のことながら、着るものなど無頓着。 和子は、上半身むき出しのまま、「腰みの」だけをまとうという有様であった。しかし、周りは、いずれも20歳前後の精力旺盛な男たちばかり。あられもない姿を見せつけられて、悶々とせざるを得なかったはず。 女日照りが続く男たちが、穏やかでいられるはずもなかった。いつとはなしに、和子をめぐって、熾烈な争奪戦が繰り広げられるようになってしまったのだ。 ■B29の残骸から見つかったピストルから「悲劇」は始まった ただし、それが単に1人の女性をめぐる口げんか程度で終わればさしたる問題とはならなかったのだろうが、過酷な環境に置かれ続けて、皆が皆、異常な心持ちになっていった。とうとう、殺し合いにまで発展してしまったのだ。 その契機となったのが、山中に墜落した米軍の爆撃機B29の残骸からピストルが数丁見つかったことであった。それが和子争奪のための武器として使用されるようになって一転。悲劇の始まりであった。真っ先に、その銃弾の犠牲となったのは、夫の上司・菊一郎であった。 これを皮切りとして、男たちが次々と変死。いったい何人の男たちが銃で撃たれて殺されたのかは定かではないが、結果として、行方不明も含め、13人もの男たちが亡くなってしまったのである。 これには和子自身も身の危険を感じたようで、偶然通りかかった米軍のミス・スージー号に救いを求めている。幸いにも無事発見されて保護。これを契機として、事件の全貌を世間が知ることとなる。 ■“アナタハンブーム”で映画化も…「和子本人」が主役に 最初のうちは13人の男たちは事故で死んだとされ、彼女も「悲劇のヒロイン」としてもてはやされたようである。しかし、真相が明らかになるのは時間の問題であった。 男たちが彼女をめぐる争いで殺されたことが明らかになると、今度は、和子自身が男たちを手玉に取って君臨した「女王蜂」とまで揶揄されるようになってしまった。 怪事件とあって、マスコミの標的となったことは言うまでもない。和子は魔性の女として、男たちの好奇の目に晒されることになっていったのだ。挙句、アナタハンブームまで巻き起こって映画化されることに。その主役を和子自身が務めたというのも、奇妙といえば奇妙であった。 ともあれ、悪女の烙印を押された和子ではあったが、彼女も、もとはといえば被害者であったはず。男たちを弄んだかどうかはともあれ、彼女を悪女呼ばわりすることだけは控えるべきだろう。そもそも、戦争そのものがなければ、こんな理不尽なことも起こらなかったわけだから、戦争が全ての不幸の根源だったともいえるのだ。
藤井勝彦