ノーベル平和賞授賞式へきょう出国…被爆時3歳だった男性、銅の折り鶴でヒロシマの思い伝える
被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」の代表団は8日、ノーベル平和賞の授賞式に出席するため、ノルウェーに向けて出国する。式で登壇する箕牧(みまき)智之さん(82)(広島県)は「幼児被爆者」。当時の記憶が乏しく、語り継ぐ葛藤を感じながらも、被爆地で活動を先導してきた。運動を率いた先人らへの思いも胸に、10日の授賞式に臨む。 【写真】ノーベル賞効果で広島平和記念資料館の入館者急増…修学旅行生や外国人観光客らで混雑する館内
箕牧さんは7日昼、銅板製の折り鶴を携えてJR広島駅から東京行きの新幹線に乗り込んだ。箕牧さんは、銅の折り鶴に特別な思いを託す。
原爆投下時は3歳だった。投下翌日に父を捜すため、疎開先の飯室村(現・広島市安佐北区)から母と広島市内に入り、被爆した。
被爆者としての活動を本格的に始めたのは約20年前だ。「核と人類は共存できない」と訴えた初代代表委員の森滝市郎(いちろう)さん(1994年に92歳で死去)、「ネバーギブアップ」の精神で被爆者運動を先導した坪井直(すなお)さん(2021年に96歳で死去)……。自身の被爆体験に根差した強い言葉で発信を続けた先人と比べ、語れる体験がほとんどないとずっと気後れがあった。
2022年に坪井さんの後を継いで代表委員となった時に思った。「周りの力を借りよう」。浮かんだのが、銅の折り鶴だった。
銅の折り鶴は、広島市立高教諭の沢田和則さん(56)が05年に「ものづくりの楽しさを感じてもらおう」と勤務先で機械科の授業に取り入れた。折り紙そっくりの精巧なデザインが話題になり、10年には平和賞を受賞したダライ・ラマ14世、19年にはローマ教皇に贈られた。
箕牧さんは国際会議があると、沢田さんに制作を依頼し、現地に持参した。「折り鶴は世界的にも平和のシンボル。言葉がなくても、被爆地・ヒロシマの思いを伝えられる」。そんな考えからだった。
平和賞受賞が決まった直後は体調面の不安から、授賞式への参加を迷った。しかし、「生きている被爆者が、先人の思いを代弁しないといけない」と思い直した。渡航を決意し、沢田さんに制作を頼んだ。