「陸上総隊」創設はなぜ必要だったか ポイントは指揮系統
創設までに時を要した2つの理由
海には自衛艦隊司令官が海自創設当初から存在し、空には航空総隊司令官が空自創設間もない頃から存在します。陸上自衛隊のみ、長い間各方面総監を束ねる陸上総隊司令官が存在しませんでした。 その理由は2つあります。 当初からの理由は、自衛隊及びその前身である警察予備隊・保安隊が発足した当時から、時の首相であった吉田茂をはじめ、政府関係者の多くが、自衛隊のことをクーデターを起こしかねない危険な組織として警戒していたことです。こうした警戒は、最近に至るまで、防衛省の内部に多くの他省庁出身者が送り込まれ、防衛省内局プロパーが主導権を取れない状態が続いたことからも見て取れます。 過去の政府関係者は、陸自戦闘部隊の指揮権を5人の方面総監に分け、それぞれに牽制させることで、クーデターの芽を摘もうと考えた訳です。 もっと具体的に言えば、東京を防備する東部方面総監がクーデターを策謀しても、東北方面総監と中部方面総監に挟撃させようとしたということです。なお、三島事件(1970年)において作家の三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地(陸上自衛隊)で拘束したのも、東部方面総監であった益田兼利陸将でした。 クーデターの成否は、政経中枢と、現代では報道機関を押さえられるかにかかっています。そのためクーデターは、首都を担任区域とする陸軍部隊が主導することが通例です。古今東西、海・空軍はクーデターに参加したことはあっても、主導したことはありません。 もう一つ、5人の方面総監、5つの方面総監部が存在する中で、陸自としても陸上総隊を良しとしてこなかった理由が発生します。 それは、方面総監、及び総監部に多数の高級自衛官のポストが必要となることから、ポスト確保のために都合が良かったのです。このため、陸上総隊の必要性は、かなり以前から囁かれていましたが、ポスト削減されることを恐れ、陸自内部においては積極的な動きが乏しかったのです。陸上幕僚長にもなった君塚栄治陸将も、陸上総隊の設立には異を唱えていました。 こうした事情はありましたが、今やほとんどの国民は自衛隊によるクーデターなど絵空事としか考えていませんし、元自衛官として自衛隊内部を知る人間としても自衛隊内部にクーデターを起こすなどという思想はほとんどないと断言できます。そのため、安倍内閣のイニシアチブもあり、今年3月27日をもって陸上総隊が創設されました。 陸上総隊の創設が、なぜ今このタイミングになったのかという理由は、中国や北朝鮮情勢にあると言えるでしょう。冷戦期は、ソ連による侵攻をアメリカの核戦力をもって抑止できると考えられていました。しかし、現代の中国、北朝鮮による地域的な限定紛争に対しては、核抑止では抑止し切れないと考えられています。通常戦力による実効性のある抑止のために、陸上総隊が必要とされたのです。 (※なお、自衛隊によるクーデターを標榜するような思想団体=三島事件における楯の会のような組織=は現在でも存在します。そうした団体の影響を受けた人物が、少数ながら自衛隊に入隊してくるのは事実です。思想の如何をもって退職させることはできないため、そうした人物は、マークされ、重要なポストに就くことはできなくなっています)