春風亭一之輔、ハゲで笑いをとるのは「免許制」にすれば 笑えない世の中もちと堅苦しいからさ
落語家・春風亭一之輔さんが連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今回のお題は「ハゲネタ」。 AERA dot.を告訴しようと思う。 まったくもって失礼な話ではないか。ハゲにむかって「ハゲネタ」というお題を出すなんて完全にハラスメント。「ネタ」とあるから「あくまでネタとしてハゲエピソードを語ってくれませんかね~、へらへら~」ということなのだろうが「『ネタ』なんだからべつにいいですよね~」ってそのエクスキューズのつけ方がなんかイライラするなー。 なんてね。 怒ってないですよ。べつに。 たしかに私は最近よく「ハゲネタ」を口にする。主に「笑点」の大喜利のなかだけだけど。安直に笑いをとるには、私はちょうどいい頭してるし。ちなみに私の父親もかなり若いときからいい具合にハゲてたので、子どもの頃から遺伝するのだろうなととっくに覚悟はできていました。ハゲメンタルの初期設定はずいぶん早い時期から完了済みだったので、流れに抗うことなく今の状態を受け入れています。だから今さらハゲだの言われても腹も立たないのだ。 ■世の中の潤滑油たるハゲ また大衆は「ハゲ」がまだまだ好きなのです。 初対面のハゲにはおっかなびっくりだが、ハゲてる人がおのれのハゲに言及し、ハゲをネタにするとみんな安心して笑顔になる。 「あ、この人のハゲは笑っていいハゲなんだ」と。「ハゲをさほど気にしてないハゲなのか」と。「むしろ笑ってあげたほうが当人のためにいいハゲなのか」と。「世の中の潤滑油たるハゲなんだな」と。 ときどきいじってはならないハゲをいじって地雷を踏む人もいますが、そういう人はハゲのほうから歩み寄ってくるのを待てないかわいそうな人です。
そして「笑点」みたいなオバケ番組でハゲをネタにすると、あっという間にハゲが浸透していきます(主に中高年へ)。 寄席の高座に上がるとき、初めて寄席に来たであろう観客の視線が私の頭に注がれるのがよくわかる。のぞむところだ。「見ろ、見ろ、見ろ! とくと見ろ! お前たちの大好きなハゲだぞ!」と思いながら座布団に座る。 マクラを喋りながら頭をそっと触ると「クスクス……」と笑い声がかすかに聞こえてくる。「なにかおかしいですか?」と聞くとまた「クスクス……」。「おい! お前ら引っぱたくぞ!」と声を荒らげると「ははははっ!」。引っぱたくぞと予告してるのに笑うとはなにごとか。ハゲてるというだけで、すごんだところで所詮笑いになってしまうのです。 ■そう、今のところですよ 事故的に「激しい◯◯」なんて言うと「わー!」という歓声。枕の流れで「私の好きなハーゲンダッツ」とたまたま言ったら爆笑されたときは、「あー、オレのハゲもここまできたか」と思いました。 客席を見るとハゲた人も笑っているのが面白い。自分もハゲてるのに目の前のハゲを見て笑っている。そのハゲは自分もハゲてるということを一瞬忘れているのか、それとも自分をふくめたハゲというものを笑っているのか? 願わくは後者であればよいなと思います。 「他人のハゲ見て、我がハゲ笑え」 でいきたいものです。 今のところ、まだハゲは笑える対象。……そう、今のところですよ。