一橋大学→脱サラし“女装”の道へ…高学歴ドラァグクイーン(52)が語る、会社員からフリーへの転身と父へのカミングアウト
ミュージカルとの不思議な縁が始まる…ディーヴァへの道のり
――現在では、脚本家としてかなり実績を重ねられてますよね。一方で、お芝居に出演もされています。 エスムラルダ 子どもの頃からミュージカルが好きだったので、いつかミュージカルの脚本を書いてみたいとずっと思っていたんです。そうしたら2016年の夏に「一人芝居ミュージカル短編集」という企画を立ち上げた伊藤靖浩さんという方が、SNSで脚本家を募集したの。そのときは脚本だけ担当したんだけど、半年後に第2弾が行われることになったら、伊藤さんから「エスムさんも出演しませんか?」って言っていただいて。 ――それで往年の大女優マレーネ・ディートリッヒの話を書いて演じられた。 エスムラルダ ただ、それまではリップシンクのショーばかりで、人前で歌ったりお芝居をしたりするのは年に一度の年末イベントだけ。だけど、その一人芝居ミュージカル、ほかの出演者は劇団四季や宝塚のスターとか、そうそうたる顔ぶれだったの! 1人だけあまりにレベルが低かったら申し訳ないと、40代半ばで初めて歌を習い始めました。 ――帝国劇場で歌われたこともあるそうですが、それはどんないきさつで? エスムラルダ 2014年の暮れに、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のサイトで「レ・ミゼラブル のどじまん・思い出じまん大会」っていうイベントの開催を知ったんです。「ファイナリストは帝劇で歌える」って書いてあったので、これは応募するしかない、絶対にイロモノ枠があるはずだ、と思って応募したら、まんまとファイナリストに残って。大ホールで、大人数の前で歌うのは初めてだったんだけど、すごくいい経験でした。 ――東宝ミュージカルといえば『プリシラ』の翻訳台本も手掛けられて。 エスムラルダ 2016年の夏、一人芝居ミュージカルに参加する直前に、東宝の方から「ドラァグクイーンで、脚本の仕事もしてるから」ということで、『プリシラ』の翻訳台本のお話をいただきました。その顔合わせで、日本語詞を担当された作詞家の及川眠子さんと知り合ったんです。 ――「八方不美人(※)」のプロデューサーの及川眠子さんですね。どんどんご縁がつながっていくんですね。 ※2018年12月、作詞家・及川眠子、作曲家・中崎英也のプロデュースにより、エスムラルダ、ドリアン・ロロブリジーダ、ちあきホイみで結成した、ドラァグクイーン・ディーヴァ・ユニット。 エスムラルダ そうなの。2015年から、歌やお芝居の方へと自然に流れて行った感じ。そうやって舞台関係の知り合いが増えて、お芝居への出演や脚本執筆を依頼されるようになっていったんです。 写真=鈴木七絵/文藝春秋 一橋卒→“ドラァグクイーン界の仏”に…52歳になったエスムラルダが語る、嫉妬しなくなった理由「若い頃は、コンプレックスの塊だった」 へ続く
市川 はるひ