一橋大学→脱サラし“女装”の道へ…高学歴ドラァグクイーン(52)が語る、会社員からフリーへの転身と父へのカミングアウト
なかなか伝わらなかった、父へのカミングアウト
――家族ではお父様にだけ遅れてカミングアウトしたんですよね。 エスムラルダ 今から2年半前くらいかな。私が本名で書いた本を、父がたまたまネットで見つけたから、買って読んだと聞かされて。一応ビジネス書なんですけど、そこにゲイであることも、ドラァグクイーンであることも赤裸々に書いたので「あ、これでもうゲイだって知られちゃった」と思いました。少し焦ったけど「これで面と向かって言わずにすんだ」とホッとする気持ちもありました。 ――2020年出版の著書『ロジカルメモ』ですか? お父様はそんなにも長い間知らずに……家族からも伝わらず? エスムラルダ 母にカミングアウトしたとき、父は単身赴任で大阪にいたし、責任も重い立場だったので「仕事も大変そうだし、父には黙っておこう」みたいな感じになっていました。 ――お父様はすぐに理解してくれましたか? エスムラルダ その段階では理解されていませんでした。その後、お正月に実家に帰ったときも「結婚はしないのか?」とか言われたので「あれあれ?」と。ドラァグクイーンはあくまでも趣味的なものと思っていたのかもしれません。 それをファーストインパクトとすれば、セカンドインパクトが今から1年半前。父が、やはりネット検索でウィキペディアの「エスムラルダ」の項目にたどり着き、ようやく「自分の子どもがゲイだ」ってことがわかったらしくて。 ――お父様は徐々に理解されたんですね。 エスムラルダ 最初のうちはショックだったと思うのですが、1年前の八方不美人のライブには母、姉と3人で来てくれたし、この間、家族で墓じまいもしてきました。親戚の方々まで「エスムラルダ」のことを知っていてびっくりしたけど「これで本当に誰にも隠す必要がなくなったんだな」とも思いました。
クルッと迎えた転換期 会社員からフリーランスへ
――ライターとしての活動はいつ頃から始められたのでしょうか。 エスムラルダ 1996年頃から、ゲイの間で個人のホームページっていうのが流行り出したんです。最初は友だちのページに寄稿してたんだけど、そのうち私も自分でサイトを開設して、オネエ言葉でエッセイを書くようになりました。 そうしたら、ゲイのライターで小説家の伏見憲明さんから「今度、『クィア・ジャパン』という雑誌を出すから、文章を書かない?」とお声がかかったり、『週刊女性』の編集者の方から「週刊女装ってコーナーでコラムを書きません?」って話がきたりするようになって。 それから『Badi(バディ)』っていうゲイ雑誌に人生相談のコラムを連載したのをきっかけに、全国のゲイの読者に名前を知られるようになりました。いまだに地方のイベントに行くと、お客さんに「読んでました」って声をかけられたりします。