日本人2人の月面着陸が正式決定、有人探査車提供も 日米政府が合意「なるべく早期に」
日本が提供する月面探査車は「ルナクルーザー」。月面を走行して探査しながら、内部で飛行士2人が30日ほど生活できる。米アポロ15~17号(1971~72年)で使われた探査車が運転席むき出しの非与圧型だったのに対し、ルナクルーザーは車内でシャツで暮らせる与圧型。トヨタ自動車が本格開発を進め、2031年の打ち上げを目指すとされる。開発には、ISSの日本実験棟「きぼう」開発などの実績を持つ三菱重工業なども連携する。ネルソン長官は「米国はもはや、単独で月面を歩くことはない。われわれは新しい探査車で画期的な発見をし、人類に利益をもたらす」と期待を語った。
宇宙技術と信頼、積み重ねた日本
月面着陸の決定は、日本が宇宙先進国として高い水準に到達していることを象徴するできごとだ。有人技術とそれによる国際的な信頼を40年にわたり、地道に積み重ねた結果といえる。
日本人初の飛行士は1985年に3人が選ばれ、訓練を開始した。その1人の向井千秋さんを筆者が取材した際、当時の状況を「NASAから見れば『仕方ない、1人連れていくか』というレベル」と回想してくれたのが印象に残っている。92年に毛利衛さんが、機体の運用に直接関わらない科学者の立場で、米スペースシャトルに日本人として初搭乗。日本はシャトル搭乗を通じ、その後も宇宙実験の水準を高めていった。3人に続いて選ばれた若田光一さんが96年、機体を運用する立場での搭乗にこぎ着けた。
なお日本人初飛行を果たしたのはTBS記者(当時)の秋山豊寛さん。旧ソ連で宇宙飛行士となり1990年、商業飛行の形で実現している。
日本が技術を飛躍させた舞台はISSだ。宇宙大国の米露に比べ、ノウハウを持たなかった日本が厳しい技術条件を満たして2009年、ISSの実験棟「きぼう」を完成させた。ISSへの物資補給機「こうのとり」を09~20年、全9回にわたり無事に飛行させた。
きぼうは米国棟などに比べ不具合が少なく、棟内が静謐(せいひつ)で各国飛行士の評価が高い上に、船外実験や衛星放出の機能も備え、ISSに欠かせない構成要素となった。こうのとりはロボットアームで捕捉してISSに結合、分離する新方式を初めて採用。この方式の安全性の高さを実証し、米国の民間補給機2機種がこれに倣った。こうのとりのISS接近時の通信システムも米民間補給機が採用している。