決勝トーナメント目前の新日本プロレスG1で何かと注目を集める「プロレス界の未来」KONOSUKE TAKESHITAの魅力
【柴田惣一のプロレス現在過去未来】
KONOSUKE TAKESHITAの注目度がいよいよ急上昇。日米マット界いや世界のプロレス界の架け橋となるのはもちろん、ストロングスタイルの伝承者としての活躍が期待されている。 【動画】『G1 CLIMAX34』KONOSUKE TAKESHITAvsボルチン・オレッグ(試合ハイライト) 新日本プロレス「G1 CLIMAX 34」に米AEW、DDTと二団体の看板を背負って乗り込んできたTAKESHITAは、8・14静岡・浜松大会の成田蓮戦を残して4勝4敗。大混戦のBブロックで決勝トーナメント進出をしっかり視野に捉えている。 8・12新潟・長岡大会では8人タッグマッチで対戦した成田に試合後、襲撃されてしまった。成田の所属するHOUSE OF TORTUREの加勢もあってダウン。執拗に左ヒザを狙われ、若手の肩を借りての退場に追い込まれた。ヘラヘラした成田に「浜松、無理だろ」と見下されている。 一抹の不安を抱え込んだTAKESHITAだが、開幕前には「ストロングスタイルのメシア(救世主)になってやる」と豪語。なおもアメリカにいるメンター(助言者)から「ストロングスタイルを託された」と告白し「イヤオ!」とつけ加えた。そう、メンターとは新日本プロレスから米WWEに転身した中邑真輔で間違いない。日米マット界の酸いも甘いも知り尽くした男・中邑から、バトンを渡されたと言っても過言ではない。 それも自然な流れだろう。190センチ近い長身に、いまだ成長する筋骨隆々の体躯、陸上競技で鍛え上げたバランスの良い運動能力…持って生まれた才能に努力が重なり、もはやプロレスラーの中のプロレスラー。デビュー当時から堂々としており、最近では貫禄も出て来た。 DDTで幅広いスタイルを体験してきた。リングはもちろん様々な場所をバトル・フィールドとしてきた。ファイトスタイルも硬軟織り交ぜ、左右上下、前から後ろから、思いもしない斜め上からの仕掛けにも対応してきた。 ロールプレイングではないが、さまざまな試合を経験する度に「攻撃力が2上がった」「防御力が3上がった」「素早さが2上がった」などドンドン強くなって行き「レベルが1上がった」を着実に積み重ねての経験値は高い。 AEWでもまれ海外マットの流儀もマスター。まさに冒険の旅だ。世界中どんなリングに上がろうとも、戸惑うことはないだろう。いつ何時、どこでも誰とでも何でも対応できる柔軟性の高いプロレスラーになった。 そして何より強さがある。新日本プロレスのベテラン・後藤洋央紀に敗れはしたが「ストロングスタイルというか闘魂を感じた」と言わしめた。 何よりふてぶてしさも身に着けた。新日本の棚橋弘至社長にケンカを売る。「復讐だ。あれからDDT、めちゃくちゃになったんだ。全部、おめーのせいだ。いつとは言わない。G1終わったら、俺から逃げるなよ」と、今や社長レスラーであり新日本をエースとして支えた棚橋をトコトン挑発した。 棚橋とTAKESHITAはDDTの14年8・17両国大会で一騎打ち。DDTのホープだった19歳のTAKESHITAは、37歳の棚橋のハイフライフローに敗れ「気負うな。未来があるから」と諭されている。 15年に棚橋がDDTに参戦した際に「全団体、横一線で見てもらっては困る」と苦言を呈したこともあった。物議をかもしたが、ほどなくして幕引きと思われていた。ところが、DDTを愛するTAKESHITAにとっては、まだ終わっていないのかも知れない。 初対決から10年。今ではあまり語られなくなったメジャーとインディー論争から9年。TAKESHITAと棚橋の因縁は深まっていた。 いずれにせよTAKESHITAが「百年に一人の逸材(棚橋の自称)」に負けず劣らずの素材であることは誰も否定できないだろう。12年に高校生でデビューし、現在29歳にしてキャリア12年。まだまだ伸びシロを予感させる。出来上がった時には、どんな選手になっているのか、末恐ろしい限り。 DDTの先輩選手が「彼は挨拶もちゃんとできるし礼儀正しい。しっかりしているし、とても良い子だよ。いや、もう良い子なんて言ったら失礼だね。ドンドン成長して行く姿を見られるのは、嬉しいし、とても頼もしいよ」とにっこり。 世界中のプロレスファンが注目するG1で期待以上の大器ぶりを発揮。ひのき舞台で日々、成長している。文字通り「ザ・フューチャー(未来)」であることを見せつけている日進月歩のTAKESHITA。一瞬たりとも目を離したら後悔することになりそうだ。 <写真提供:新日本プロレス>
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