たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 前編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち
トライアンフTR250(1967年)
戦後、米国の消費者は英国製の小型スポーツカーに夢中になり、最も人気のあるモデルの1つがトライアンフのTRだった。トライアンフはTR4の大型エンジン版がウケると考え、1967年にTR250(TR5とも呼ばれる)を米国市場に導入した。 2.5Lのフューエルインジェクション直列6気筒エンジンは魅力的なパフォーマンスを発揮するが、米国では排ガス規制のためにインジェクションではなくツイン・キャブレターが装着された。その結果、最高出力は150psから111psへ低下し、0-97km/h加速は10.6秒と、決して褒められたものではなかった。 トライアンフは1年後、TR250と入れ替わる形で、よりパワフルでスタイリッシュなTR6を導入した。
シェルビーGT500 KR(1968年)
車名のKRとは「キング・オブ・ザ・ロード(King of the Road)」の略である。自分のクルマをそう呼ぶなら、相応の実力を備えていてほしいものだ。1968年型シェルビーGT500 KRは、心臓部に最高出力335psの428コブラジェットV8エンジンを搭載しているが、これでは不十分だった。このエンジンはノーマル状態で400ps以上のパワーと66kg-mという強大なトルクで知られていたのだ。 シェルビーはスクープ付きのグラスファイバー製ボンネット、ディスクブレーキ、木製ステアリングホイールを採用。ロールバーも用意された。ファストバック1053台、コンバーチブル517台の合計1570台が生産された。
シボレー・カマロZL-1(1969年)
レースでの成功により、シボレーは強力な427立方インチ(7.0L)V8エンジンを開発し、1969年のカマロZL1に搭載した。このエンジンは他のV8よりも高回転でハードコアなものであったが、シボレーはドライバーの能力不足を懸念し、エンジンについては口を閉ざしていた。レーサーたちにひっそりと販売され、わずか69台しか作られなかった。 カマロZL-1を購入できた幸運な人たちは、425psのパワーを手にしたことになる。ドラッグランを196km/h、11.6秒でこなし、軽い改造で550psまでパワーアップすればさらに速くなる。エンジンは専用のクリーンルームで手作業により16時間かけて組み立てられた。