たった1年で販売終了? 米国の希少車 42選 前編 「大人の事情」で打ち切られたクルマたち
プリムス・バラクーダ440(1969年)
プリムスはバラクーダに可能な限り大きなエンジンを搭載することで、当時最速のマッスルカーの1台を作り上げた。最高出力375psを発生する440立方インチ(7.2L)V8は、パワーステアリングポンプ、ブレーキサーボ、エアコンを搭載するスペースがないほど巨大で、バラクーダ440はいわば妥協の産物でもあった。このため夏場は辛く、また運転のたびに上半身のワークアウトになる……。 バラクーダ440のもう1つの問題はそのデザインで、存在感の薄い地味なものと見なされた。トランスミッションはATが標準だったことも、エンスージアストにとってはデメリットだった。発売1年で、約400台しか生産されなかった。
ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)
皮肉なことに、ポンティアック・ファイアーバード・トランザムはレースシリーズから名を取ったにもかかわらず、レースに出るためのホモロゲーションを得ることができなかった。これは排気量が400立方インチ(6.6L)と大きすぎたためである。しかし、ポンティアックとしてはそれほど気にしなかったようだ。最高出力の公称値は335psだが、実際にはそれ以上のパワーを発揮した。 マンシー製4速MTが人気だったが、3速ATも用意されていた。カメオ・ホワイトの塗装にチロル・ブルーのストライプが入るなど、外観上のユニークな特徴もあった。1969年に生産されたのはわずか697台で、そのうちコンバーチブルはわずか8台しかなく、史上最も希少なトランザムの1つとなっている。
AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)
1969年のSC/ランブラーの成功に刺激されたAMCは、1年限りのモデル「ザ・マシーン」を夢見た。セールスポイントはこのグルーヴィーな名前だけではなく、最高出力340ps、最大トルク59kg-mの390立方インチ(6.4L)V8により実現される、0-97km/h加速6.4秒、最高速度200km/hというパフォーマンスだった。 AMCは当初1000台のみを生産し、すべてホワイト塗装でボンネットにはエレクトリックブルーのストライプが入っていた。これが完売した後、さまざまなカラーリングとともに追加ロットが生産された。生産台数は合計2326台とされている。