冬の寒さ、夏の暑さ、亡くなる時、欲求不満解消...ホームレス生活のリアリティー
ホームレスが亡くなったときは...
生きているホームレスはつらいが、亡くなったホームレスはどうだろう。 桂さんはホームレス仲間3人がそれぞれ亡くなる前後の話をしてくれた。 「彼はとても苦労に耐えられる人だった。他の人がアルミ缶を運ぶときは、自転車にせいぜい40キロぐらいしか積めないが、彼はカートで一度に100キロ以上を運んだ。何度か彼が坂を上るのに苦労しているのを見て、力を貸してあげたことがある。彼が死ぬ前日、橋のたもとの飲料自動販売機のそばで彼に会った。地面に座って、少し苦しんでいる様子だった。おそらく持病が再発したのだろうと思った。私は彼に声をかけただけで、自分のことをしに行った。後になって、通行人が救急車を呼んで、病院に運ばれて2日目に息が絶えたと聞いた。肉親が見つからなかったため、結局は政府が金を出して火葬し、遺骨は寺の無縁仏となった」 「アルミ缶拾いで知り合った友人もいた。自殺する前日、川べりの露天椅子に座ってぼんやりしていたのを見た。私は何も言わずに去ってしまった。まさか、彼が生と死の選択に苦しんでいたとは思わなかった。悲しいことに、彼の死体は翌日、荒川の水門に現れた。前日に彼を見たとき、何も話さなかったことを後悔した。少しでも慰めたり励ましたりすればよかった」 3人目は、不慮の事故だったという。 「さっき話した2人は、どちらも年を取っていた。次の人はまだ40代で、川辺で釣りをしていた釣り友達。ふだんは会うと挨拶するだけの付き合いだった。後で聞いたところ、彼は住まいでランプを動かしているときにうっかり手を滑らせて火事になり、火の海に倒れて、命を落としたそうだ」 荒川河川敷でホームレスの生活と健康状態の調査をしている「兄貴」(彼の物語は次回語る)は、ここ数年で、餓死したり自殺したりした7、8人のホームレスの死体に遭遇したことがある。その多くは高齢者だが、中には40代の人もいた。 テント内で亡くなった人もいれば、木の幹に吊るされた(首を吊った)状態の人もいた。その場面は見るに忍びないという。「兄貴」はそういう場合、携帯電話で警察に通報し、遺体を引き取りに来るよう伝えるのである。 一般的な日本人は死後、遺骨は寺などの墓地に葬られ、石碑には死者の名前が刻まれる。ホームレスになった日本人の多くは、家族との関係を離れている。親戚や頼れる人もおらず、もちろん墓地もない。彼らは亡くなると、静かに黙然とこの世を立ち去るが、自分の名前も含め、何も残されはしないのだ。