ジョー・アーモン・ジョーンズが語る、UKジャズと人生を変えたレゲエ/ダブの原体験
ジャズとダブの融合、ダブステップとの共振
―今、あなたがやっているような「キーボードでの即興演奏とダブのミックスを融合したような音楽」に取り組んでいる人は少なくて、あなたはある種のパイオニアのような存在でもあると思います。ダブのミックスの面白さと、キーボード奏者としての即興演奏を組み合わせる時に、演奏者として特に大切にしているのはどんなことですか? ジョー:僕はパイオニアなんかじゃなくて、ただ先人の積み重ねた発見の上に、新しい発見を重ねているんじゃないかと思う。彼らからさまざまなことを学んでいるだけなんだ。僕はその2つの要素を融合させることが好きだからね。自分のすべきことをやっているだけだよ。 でも、ふたつを組み合わせることは僕にとってはよい訓練になっている。ジャズは時々、リスナーと乖離して、技術的なインパクトを与えるだけのものを作り始めてしまうという危険な方向に行きがちだ。それはある種ジャズ・ミュージシャンにとって魅惑的なものだから。他のどのジャンルよりも、楽器を学び、奏法を学び、他の人のソロやラインを学ぶことに時間を費やすのがジャズというジャンルだからね。だからこそ、技術的な能力が前面に押し出されてしまう可能性がすごく高い。例えばビバップ時代の“チョップピング”対決のような、2人で演奏して、どちらが勝者か競い合うようなセッションとかね。そういった方向に進み過ぎると、ミュージシャンではない人たちにとっては聴きたくない、好きになれない音楽になってしまうこともある。ジャズがジャズ・ミュージシャンのためだけの音楽になってしまうんだ。 だからこそ、自分がやっていることはよい訓練になると思っているよ。特に、ダブのソロは変な意味でかなりのチャレンジでもあるから。というのも、基本的にダブにおけるソロでは1つか2つのコードしか使わないから。ほとんどの場合、複雑なコードではなくて、3和音のコードだったりする。例えば、Eマイナー、Bマイナー、Eマイナーといった3つの音。ハービー・ハンコックが弾くようなEm9やEm11といったEマイナーコードではないんだ。Eマイナーの3和音、それがベストなサウンドなんだよ。他の要素を色々加えてしまうと、その曲の持つフィーリングが失われてしまう。だから、ピアニストにとっては、とても大きな学習曲線となる。特に、いつもセブンスコードやナインスコードを使っているようなピアニストにとってはね。そういったコードが上手く機能しないと、「ああ、これが音楽のすべてでも、音楽の終着点でもないんだな」ってことに気付くことができる。だから、僕はレゲエを演奏する上でどんなものが機能するかということについての学習曲線は、最終的にメロディックなものへと辿り着くと思っている。 ―シンプルなコードとメロディですか。 ジョー:僕は(エズラ・コレクティヴの)ジェイムス・モリソンのサックスがとても好きなんだけど、彼は最もオリジナルで個性的なサックス奏者のひとりだと思う。彼がレゲエを演奏する時、すごくメロディアスに吹くんだよね。ラインの応酬を見せつけるような感じではなくて。メロディを思い浮かべて、ちゃんとそのメロディを演奏する。僕はそこが好きなんだ あと、モンティ・アレキサンダーというピアニストがいるんだけど、彼は恐らく僕が初めて聴いた、レゲエとジャズを組み合わせたピアノ奏者だったと思う。これまでにないヴァイブを感じたし、彼は演奏においてずっと先を行っていると感じたよ。彼はジャズのギグの最中に、『King Tubby Meets Rockers Uptown』の曲を演奏したりしていたんだ。彼は間違いなくパイオニアと言えるだろうね」 ―あなたはマーラとの共作も発表していますが、今日の話とダブステップへの関心は自分の中で繋がっていますか? ジョー:完全にそうだね。マーラ自身の音楽も、ダブからの延長線上であり、ダブとグライムを繋ぐリンクでもある。ダブステップには2種類あって、ひとつはレゲエやジャマイカのサウンドに根差したダブステップ、もうひとつはアメリカに渡ってポップコーンみたいなものになった(笑)ダブステップ。サウンド的にはまったく異なるものだけど、ダブステップを初めて聴いた人の多くは、後者のサウンドなんだよね。だから、この音楽の元々のルーツはすぐに剥ぎ取られてしまった。『ウワワーン』みたいなベース音がメインになってしまった。そういう音は、本来の意味でのダブステップにはないものなんだ。 むしろ、ヘヴィなサブベースが中心になっていて、それが重要な役割をなしているから。マーラはそういうダブから来たヘビーなサウンドを作り続けてきたコアな人物のひとりで、決してそういう音楽作りをやめようとはしなかったし、有名になるためにポップな方向性のものも作ろうとはしなかった。彼はダブステップ・シーンの大物だったから、きっとリミックスをやって欲しい人もたくさんいただろうし、そういう方向性のものを彼に求めるのは、誰にとっても選択肢のひとつであったとは思う。今っぽい音で作って欲しいというね。それでも、売れるものでなくても、自分のスタイルを貫き通している彼の姿勢には感動を覚えるよ。 ジャー・シャカについても同じことが言えるだろうね。彼は亡くなる前にはかなり人気があったけど、50年間音楽をやり続けてきたんだ。2000年代初頭に、彼のライブについての話を聞いたことがあるんだけど、その頃はあまり客入りがよくなかったそうなんだ。70年代にはたくさんの人が彼のギグを観に足を運んでいたけど、その後デジタルのダンス・ミュージックが主流になって、彼のようなミュージシャンのギグはあまり客が入らなくなった。でも、彼はそのシャカ・スタイルのルーツ音楽をプレイし続けたんだ。 同じことがマーラにも言える。彼は自身のスタイルを貫いていて、今ではそのジャンルのパイオニアのひとりと考えられている。ダブステップがどういうものなのか振り返ることができるようになった今、ダブステップはダブから直接受け継がれていて、ダブとグライムは直接繋がっている音楽だということを実感できる。グライムの面白いところは、ロンドンの多くのグライム・アーティストが、70年代にサウンドシステムを運営していた父親の跡を継いでいるというところ。彼らはダブを聴いて育ち、ダブステップが台頭してきた時にそれを聴いて、「ああ、ダブに似ているな」と感じたものを、グライムへと変化させていった。僕の耳にはグライムのビートの多くは、MCをなくしてみると、ダブステップに近いように聴こえるんだ。 ―最後に、今年は『Wrong Side Of Town』『Ceasefire』、そして新作『Sorrow』からなるEP三部作「Aquarii In Dub」 を発表し、来年にはニューアルバムも準備していると聞いています。ジャズとダブのコンビネーションに関して、どんな実験をしていますか? ジョー:新作にはダブも入っているし、思いつく限りのものが詰め込まれているよ。ダブと他のサウンドや要素との組み合わせももちろんあるけど、ダブから取り入れたものでいちばん大きな部分は、そのサウンドスケープ(音の風景)だと思う。リズムや感覚や演奏そのものよりも、例えばスプリング・リヴァーブとかエコー、テープエコーといった処理を、アルバムのすべての曲に施しているよ。このアルバムには、ファンクやソウルを含むさまざまなフィーリングが詰まっているけれど、それを繋ぐものが、すべての曲で使われているスプリング・リヴァーブやテープエコー、それに同じ方法で処理したドラムなんだ。それによって、全体をまとまりのあるものにしようと試みた。新作はダブ・アルバムではなくても、ダブからかなり影響を受けたもの、なんだ。音楽の中にある空間のようなものは、つねにすべて埋め尽くせるものではない、というダブの考え方に基づいているものだね。 --- ジョー・アーモン・ジョーンズ 『Sorrow』 発売中
Mitsutaka Nagira