ジョー・アーモン・ジョーンズが語る、UKジャズと人生を変えたレゲエ/ダブの原体験
レゲエは自分を見せびらかす音楽ではない
―レゲエやファンク、ジャズを組み合わせたものを演奏できるようなジャム・セッションができるような場所ってロンドンにはあるんですか? ジョー:いや、そんなにないと思うよ。特にレゲエに関してはね。ファンクやジャズ・ファンクのセッションはロンドンでもたくさん行われているけど。というのも、レゲエは下手に演奏すると、本当に酷い音になってしまうから(笑)。レゲエをちゃんと演奏することのできないバンドがレゲエを演奏したものなんか聴くに堪えない。僕はレゲエのセッションの経験はこれまでにあまりないな。 ―ロンドンだったら演奏できる場所があるのかと思っていましたよ。 ジョー:そもそもレゲエは自分のテクニックを見せびらかすような音楽でもないしね。もしレゲエのギグで、キーボーディストが自分のテクニックを見せびらかそうとするなら、その奏者はこのギグにはふさわしくないということになる。今はパーカッションの見せ場だから少し自分を抑えたり、自分のエゴを抑えることができないと。ジャズでよくあるような、「よし、俺のターンだ。俺のソロを聴いてくれ。俺がどんなに素晴らしいプレイヤーか見せつけてやるぜ」というような場面はレゲエにはないんだ。グループの一員として演奏すること、そこに喜びを見出すことが大切なんだ。 ジャズだって、本来はそうあるべきだと思う。最高のジャズ奏者もそういう精神を持っていると思うよ。例えば、ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』では、バンドがひとつのユニットとして完璧な演奏をしている。ひとりが主役で、他の人がそのサポートに回るというのではなく、みんながひとつになって演奏を成し遂げている作品だよね。 ―じゃあ自分がやりたかったことを形にするには、自分で演奏できる人たちを集めて、ロンドンでも自分で場所を作るしかなかったということですか。 ジョー:そういうことだね。でも、僕は幸運なことに、モーガン・シンプソンのような人たちに囲まれている。多くの人はブラック・ミディで彼を知ったから、フランク・ザッパみたいなロック・スタイルのすごくクレイジーなプレイをするドラマーだと認識している。でも、彼はファンクのグルーヴに乗って30分くらいその場で動かずに演奏できる人だし、ロッキン・レゲエも演奏できる。自宅できちんと練習して、勉強しているような人。そういう人たちと知り合えて、本当にラッキーだと思う。実を言うと、一緒にやっている人たちのほとんどが僕よりもずっと前からレゲエを聴いて育ってきた人たちなんだ。僕のバンドのベーシスト、ルーク・ウィンター(ヌビヤン・ツイスト)はリーズ出身なんだけど、リーズにはSubdubというイベントがあって……University of Dubに似た感じのイベントだけど、僕がこういう音楽に出会うよりずっと前から、彼はそこに通っていたみたいだしね それとブライトン拠点の、ザ・レゾネーターというバンドがいるんだけど、彼らはジャム・セッションを主催していた。Dub Organiserという、ジャズとレゲエみたいなタイプのイベントで。僕はよくブライトンに行って、彼らと一緒に演奏した。当時の僕は主にジャズのギグでコードやソロを演奏していたんだけど、そのセッションでは、バンドの一員として演奏していたというか、シンガーが登場して、僕はその後ろでしっかりサポートするというような役割に回ることになってた。あの経験から多くのことを学んだよ。彼らは非常に熟練したダブ・プレイヤーだったし、あれほど正確な音を出すバンドと演奏したのは初めてのことだった。ドラマーはルーツ・レゲエのみ、それ以外は一切演奏しないという感じでさ(笑)。ジャズ・バンドでレゲエを演奏するのとはまったく違う、これこそが完全にレゲエに特化したバンド、という感じだった。これまでとはまったく違う感覚だったし、そこからたくさんのことを学んだと思う。 ―レゲエ的なものを取り入れた即興性もある音楽を演奏をすることに関して、先生や先輩のような人はいましたか? ジョー:クウェイク・ベースからはたくさんのことを学んだね。彼は、僕が初めて日本に来た時に一緒にプレイしたドラマーだ。スピーカーズ・コーナー・カルテットというバンドの中心人物で、ミュージック・ディレクターもやっていて、たくさんのアーティストを手がけている。アメリカのバンドがイギリスに来た時に、イギリスのミュージシャンが必要となったら、クウェイクに声が掛かる。それで、彼がバンドを取りまとめるんだ。 クウェイクは僕にジャー・シャカに心酔するきっかけを作ってくれたんだ。彼はそのサウンドを長い間追い続けていて、僕が彼と過ごしていた頃、彼の中では「これがジャー・シャカ・スタイルだ」とうような、特定のサウンドに対する信念みたいなものを持っていたんだ。音大にいた時、スロッピーなヒップホップをやりたいとなったら、「ああ、じゃあJ・ディラ・スタイルでやってみようか」みたいな言い回しをするようになって、そういうジャンルを表す言葉になったりしていたんだけど、それと同じように、クウェイクは「ジャー・シャカ・スタイルでやろう」と言っていた。ジャー・シャカが創り出したような、闘志溢れるダブ音楽で、すごくハードでヘヴィだけど、同時にソウルフルなサウンドだね。そういう意味で、クウェイクから本当に多くのことを学んだよ。