群ようこ68歳にしてお茶を習う。気が付くと手がドラえもん、地震のように大揺れの釣釜…頭の中ではわかっているはずなのに、体は思うように動かず
文化庁の生活文化調査研究事業(茶道)の報告書によると、茶道を行っている人が減少する中、平成8年から28年の20年間で70歳以上の茶道を楽しむ人は増加し続けているという。人生100年時代の到来で、趣味や習い事として茶道に触れる機会が増えていると考えられる。そんな中、68歳にしてお茶を習うことになった、『かもめ食堂』『れんげ荘』などで人気のエッセイスト・群ようこさん。群さんが体験した、古稀の手習いの冷や汗とおもしろさを綴ります。お稽古が始まり、お点前の実践も体験した群さん。YouTubeや参考書で復習も頑張っています。しかし、ある日お稽古場に行くとそこには見慣れないものが――。 書籍:『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA) * * * * * * * ◆釣釜が揺れる 三月のお稽古の初日、お稽古場にいったら、天井から鎖で釜がぶら下がっていた。 (えっ? いったいどうしたの?) 驚きつつ室内をよく見ると、炉を切ってある部屋の角のところに、上段に小さな襖がついた、菱形の3本足の黒い塗りの棚があった。下段にはいつもなら水屋から運び出す水指が、すでに置いてある。師匠から、 「ぶら下がっているのは釣釜といいます。形としては鶴首釜ですね。棚は徒然棚で、別名、業平(なりひら)棚ともいいます。 下の段のところに業平菱の透かしが入っているでしょう。お客様が座る方にひとつ、亭主が座っている左側、つまりお客様から遠い下座のほうを勝手付といいますが、そちらのほうに2つありますね。この棚には小さな襖がついていてかわいいんです。 この中にすでにお棗(なつめ)が入っているので、お点前のときに運び出す必要はありません。水指も置いてあるので、このまま使います」 と説明を受けた。天井から吊っているために五徳がなく炉の中の炭がよく見え、風も通り春らしい爽やかな雰囲気を醸し出すのだという。
棗や水指を運び出す手間がひとつでも省けるのは楽でいいなと喜びつつ、師匠の許可を得て、引き手にぶら下がっている短くてかわいい布をそっと引いて襖を開けてみたら、見覚えのある棗が座っていた。 シルバニアファミリーの純和風のお部屋、といった感じで愛らしいのではあるが、基本の薄茶のお点前さえちゃんと覚えられていないのに、天井からぶら下がって安定しない釜と、このはじめての棚を前にちゃんとできるかどうか不安になる。それを見越したように、師匠が、 「なぜかこの棚のお点前は、みなさんちゃんとできるんですよ。だから大丈夫」 といってくださるが、私がちゃんとできるかどうかはわからない。 水屋で運び出す茶碗に、茶巾、茶筅、茶杓を仕込んでいるときに、 「棚があるときは、竹ではない蓋置を使うので、どちらでもお好きなほうを選んでください」 と教えられた。見ると棚に、桜の花が透かし彫りになっているものと、ぼんぼりの火が灯る部分を象った蓋置きがあった。ぼんぼりのほうを建水の中に入れ、柄杓を掛けておく。 (あーあ、また立ち座りをするたびに、痛くはないけど、足からいろいろな音が聞こえてくるだろうな) と思いつつ、水指、棗はすでに棚にあるため、茶杓などを仕込んだ茶碗を持って、炉に対して斜めではなく、棚の正面に座った。そして茶碗の右真横、左手前と持ち替えて、勝手付に割りつける。