群ようこ68歳にしてお茶を習う。気が付くと手がドラえもん、地震のように大揺れの釣釜…頭の中ではわかっているはずなのに、体は思うように動かず
次のお稽古のときは、母のところからまわってきた木綿の薩摩絣(さつまがすり)を着ていった。といっても以前に着た笹柄の紬(つむぎ)同様、お金を出した私のところに戻ってきたものである。この着物もあまり好きではないので、お稽古用になった。 帯は京紅型(きょうびんがた)の九寸帯にした。徒然棚のお稽古の二回目だが、お釜は相変わらず天井からぶら下がっている。床の間のお軸は先代の家元の書で「花始開」と書いてあるのだと、師匠が教えてくださった。「今日」の銘が入っていた。 お花はバラの新種で、薄緑色でまるで芍薬のように花びらがたくさんついている。薄紙のような繊細な花びらが美しかった。 私は最初からお点前の段取りを忘れたうえに、やはり右手と左手の鉄則が守れず、そこに集中すると、棗を取り出すときに、右側の襖から開けようとして、師匠から、 「あら?」 と声がかかる始末である。頭の中ではわかっているはずなのに、どうして体が思うように動いてくれないのかと腹立たしい。まあ年齢的にいって、どこかの配線が切れているのだろうが、もうちょっと何とかなって欲しいものだ。 そのうえやはり着物だと立ち座りがうまくできず、もっと下半身にゆとりをもたせた着付けができないといけないのがよくわかった。
帛紗捌きをしているときも、 「ちょっと待って。帛紗はそれで大丈夫ですか」 と師匠からストップがかかり、広げてみたら持っていた帛紗のわさの位置が違っていたことが判明した。懐中するときのたたみ方から間違っていたらしい。それと柄杓の持ち方が、この場合は上から持つのかそうでないのかが、まだいまひとつ理解できていない。 釜の蓋を取る前に、カニばさみの手つきで、左手で柄杓と帛紗を持って、右手で帛紗を取り、つまみにかぶせて蓋を持ち上げ、蓋置に置くのだけれど、いくら右手でひっぱっても帛紗が取れない。 「あのう、帛紗が取れないんですけど」 そう小声でいったら、師匠が、 「えっ、あら、どうしたのかしら」 とつつつと寄ってきて、 「もう一度やってみましょう」 と傍らで見ていてくださった。正しくは左手の人差し指と中指で帛紗をはさんで、親指と人差し指で柄杓の柄を持つのに、私はその両方を親指と人差し指で持っていたので、帛紗が取れるわけがないのだった。 (くくーっ) 前にできたことができない。これがいちばん悔しい。三歩進んで四歩下がっている気分になる。 ※本稿は、『老いてお茶を習う』(著:群ようこ/KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
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