群ようこ68歳にしてお茶を習う。気が付くと手がドラえもん、地震のように大揺れの釣釜…頭の中ではわかっているはずなのに、体は思うように動かず
次に右手は膝の上にのせたまま、左手で左側の襖を開け、左手を膝の上に戻して右手で右側の戸を開ける。右手で中の棗を取り出し、左手に受ける。そのまま右手で右側の戸を閉め、右手に棗を持ち替えてから、左手で左側の戸を閉める。右手の棗を棚の正面の右寄りの畳の上に置き、勝手付の茶碗の左手前、右真横、左真横を持って、棗の左横に置く。 一度に両側の襖をばっと開けて取り出さないのは、客人に襖の内部を見せないためである。取り出す所作はともかく、使わないほうの手を膝の上にのせるのを忘れてしまい、空いている手が空中でドラえもん状態になっていたり、両手で棗を持とうとしたりしてしまう。 (亭主は右手は必ず右膝の上、左手は必ず左膝の上と、教えていただいただろうがっ!) と自分自身に腹が立ってくるが、師匠から、 「右手……」 といわれてふと気がつくとドラえもんになっているのが情けない。膝の上に手はあるが、右手が左膝の上、またその逆だったりすることもある。自分でもどうして体をねじってしまうのかはわからないが。気がつくとそうなっているのである。 お点前は薄茶と同じなのだけれど、口が細く、天井からぶら下げられている釜から、湯を掬すくうのも大変で、だんだん釜の揺れが激しくなってきた。釣釜には春の季節のゆらぎを感じさせる風情があるらしいが、それとはほど遠い、 「地震か?」 と不安になるような揺れ方だった。 「釜の口が細いから、やりにくいわね」 師匠が鎖と釜の鉉(取っ手)を持って揺れないようにしてくださった。 「申し訳ありません」 と謝りながら、湯を掬ったり、水を一杓補充したりして、やっとぶら下がるお釜との闘いは終わった。
◆右手と左手の鉄則 先輩方のお点前を拝見するのはとても勉強になる。なぜ闘球氏や白雪さんがお点前をすると、釜がほとんど揺れないのか。私がしたときは、師匠が止めるほどの揺れだったのに、優雅に揺れているだけである。これがお稽古の年数の差なのだろう。 御菓子は、お薄は江戸時代の禅僧仙がい和尚(せんがいおしょう)ゆかりの○□△を模した「茶果」という干菓子。お濃茶は「佐渡路(さどじ)」だった。緑色のきんとんの上に、菜の花のような黄色のそぼろが、ところどころにあしらってあるのがとても愛らしい。 梅子さんがいるときは、私が点てたお茶を飲んでくれるけれど、彼女が仕事でお休みのときは、自分で点てて自分で飲む自服になるのだが、どうもおいしくない。味が薄っぺらいのである。 さすがに先輩方が点ててくださったものは、味わいがある。いつになったら、そこまでできるようになるのやら。いつまでも手の動きすらできないようでは、道のりは遠いとため息しか出てこないのだった。