「プロ野球90年」漫画家かわぐちかいじさんが振り返る「江夏の21球」 「自分がもし古葉監督だったら…」
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。「沈黙の艦隊」などのヒット作で知られる漫画家のかわぐちかいじさんは広島県出身で大の広島カープファン。プロ野球を舞台とした作品「バッテリー」では規格外の大型ルーキーの活躍を描き、日本シリーズ史上に残る名場面「江夏の21球」も漫画化した。(聞き手 共同通信=小林陽彦、児矢野雄介) 【写真】お笑いコンビ・サンドウィッチマンが語る、楽天と歩んだ20年 M―1グランプリの予選に楽天のユニホームを… 日本一は「家で見て泣いていました。何回見返したか。今でも消せないです」
▽新時代感じさせた長嶋茂雄 瀬戸内海の島で育った。子どもの頃の遊びと言えば、泳ぐことと野球と相撲ぐらい。近所の友達とチームをつくって野球をやっていた。10歳になった年に、長嶋茂雄のデビュー戦を駄菓子屋さんみたいな商店のテレビで見た。金田正一から4三振だったけど、オーラがすごかったんですよ。三振をしても、振りまくっていて見逃しはほとんどなかった。それを見てから長嶋ファンになった。 それまでのプロ野球の選手とはちょっと違う雰囲気。ユニホームの着こなしから違う。筋骨隆々で逆三角形の体形。動きが様になって、守備を見ていても楽しい。すげえ、全然違うなと。新しい時代をみんなが実感したんじゃないかな。 ▽ミリ単位でラジオのダイヤルを… 長嶋が引退してから、山本浩二や衣笠祥雄がスターになったカープに関心を持った。その頃は東京に出てきて漫画家になっていた。地元の広島にいるより、外に出ている方が過激になって、愛情の裏返しで辛辣にもなる。広島市民球場でやじを飛ばす観衆と同じような密着度だった。
巨人戦以外はテレビ中継がなかったので、ダイヤルをミリ単位で合わせて、地方のラジオ放送を追いかけ回した。チャンスの時に山本浩二が打席に入って、カウントが1―2とか2―2とか、大事なところになったらスーッと聞こえなくなっていく。こんな感じですよ。今のように、カープ戦が毎日テレビで見られる時代が来るとは思わなかった。 ▽「21球」のドラマ やっぱり一番印象に残っているのは、1979年の近鉄との日本シリーズ第7戦の「江夏の21球」ですかね。初めての日本一。ラジオをつけて仕事をしていたけど、1点リードの九回裏に走者がたまって無死満塁になると、もう仕事が手に付かない。スタッフに「ちょっと行ってくる」と言って、隣の部屋でテレビを立ったまま見た。いまだにあのテレビの画像は脳裏に焼き付いている。感動しましたね。江夏豊がスクイズを外したのも、ちゃんと覚えている。 山際淳司さんのノンフィクションを元に、江夏にもインタビューさせてもらって漫画化した。古葉竹識監督と江夏の心理の交錯が、あのドラマの中にはある。満塁になった時に、池谷公二郎と北別府学をブルペンで準備させた。公式戦ではそういうことは一度もなかった。抑えの江夏がマウンドに上がったら、もうブルペンでは誰も投げない。あとはおまえに任せるというベンチの意思表示で、江夏はそれを意気に感じていた。だからびっくりしますよね。「何でだ。自分を信頼していないのか」と。 広島ファンの間ではよく「おまえが古葉だったらどうする?」「江夏だったらどうする?」と話題になった。みんながそれぞれの立場になって議論するわけです。面白かったですよ。自分がもし古葉監督の立場だったらどうするか。それまで日本一になっていなかった。日本シリーズ第7戦。公式戦とは違って、もう後はない。俺は「日本一になるんだ」という古葉監督の意思表示だと感じた。延長戦になって江夏に打順が回れば代打を送る。当然、その裏を抑える投手を用意しなければならない。そうしないと日本一になれない。やっぱり、古葉さんがあそこでブルペンで準備させたのは正しいと思う。