「八百万の神々」入門 第5回:もっと知りたい日本の神様:人間に近い存在、「付き合い方」は人それぞれ
日本の神々について「もっと知りたい」米国人編集者ジェームズ・シングルトンが、本シリーズ執筆者で神話学者の平藤喜久子教授にインタビュー。
神様は「ちょっと偉い人間」
シングルトン(JS) 日本の神々の起源はいつごろなのでしょうか。 平藤 神様について記述が残る最も古い史料は8世紀の「古事記」などですが、日本の神々の始まりはいつだったのか、はっきりしたことは分かりません。恐らく弥生時代、農業が始まった頃から、太陽や山など自然物を祭るようになり、神話が語る神も、この時代に登場したのでしょう。古墳から出土する埴輪(はにわ)は、神様を表現した像ではなく、人間の姿を表していると考えられています。6世紀に伝わった仏教の影響で、神様を絵に描いたり、彫像を作ったりするようになり、常設の祭祀(さいし)の場所である神社が生まれたと考えられます。 JS 日本の神様は、全知全能のキリスト教の神とはだいぶ違うようです。ギリシャ神話の神々とは、どんな共通点や違いがありますか。 平藤 ギリシャの神々も、日本の神々と同様、人間臭い面があります。失敗したり、悪いことをしたりするし、人間と恋愛をすることもあります。ただし、ギリシャの神は人間が神と対等だと考えることは許しません。 一方、日本の神は、より人間に近く、“ちょっと偉い人間” のような感覚です。神々も畑作をするし、機織りをする。例えばアマテラスは、高天原(たかまのはら)で機織りの監督役を務めています。人間と同じように働いているのです。面白いのは、占いにも頼ることです。例えば、弟のスサノオに高天原を奪う邪心がないかどうか、2人は占いで決めようとします。 その結果、「邪心なし」と証明されたと勝ち誇ったスサノオは暴れ出し、アマテラスは恐れをなして岩屋に隠れてしまいます。この姉弟のように、神様も最初は未熟なところがあり、物語の中で成長していくことも面白いと感じます。
神様の「死」
JS 日本の神話の中では神が「死ぬ」こともありますね。 平藤 最初に描かれた神様の「死」は、イザナミが火の神を産み、大やけどをして亡くなる場面です。「死んだ」といっても、黄泉(よみ)の国に行ったわけで、戻って来る可能性もありました。イザナキが妻を連れ戻そうとして失敗したことをきっかけに、人間の「死」が定められます。 また、別のエピソードでは、神々の中の裏切り者が死にます。ただ、こうした神の死は例外的で、死ぬ神はほとんどいないし、死んだとしても生き返ります。例えばオオクニヌシは、そのモテ男ぶりをねたむ兄弟たちに何度か殺されますが、そのたびに生き返りました。 JS 古代の日本人は、どのように神と付き合っていましたか。 平藤 古事記によると、あるとき疫病がはやるなどの災いが起きたと記しています。占いによって、神がきちんと祭ってほしいと願っていることが分かり、神のいうとおりに神祭りをしました。また、同じく古事記によると、神の意志によって皇子が成人しても口がきけないことがありました。このときは出雲のオオクニヌシの宮を修繕することで解決したといいます。神のいる場所をきちんと整備することが大切だという意識は、後世にも引き継がれています。