家族でさえ知らない、透析患者が抱える「最大の苦痛」とは?「普通に歩いて通院できる」「見た目は健康な人と何一つ変わらない」が
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】「飲みたいのに、水も飲めない」…知られざる「働く透析患者」の過酷な生活 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈「早朝に通院、4時間の透析を終えてから出社」「飲みたいのに、水も飲めない」…多くの人が知らない「働く透析患者」の過酷な生活〉につづき、透析の厳しい現実を見ていく。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
透析に立ちあう
林が透析をする現場に、私自身も立ちあわねばならないと思い始めたのは、ともに暮らすようになって2~3週間たったころのことだ。 覚悟を決めるまで少しの時間を要したのは、情けないことに私は注射が何よりも怖いから。小中学校で行われた集団接種はことごとく脱走し、これまで予防接種はほとんど受けたことがない。今でも健康診断の血液検査の前日は緊張して寝つきが悪いほどだ。 ともあれその日の朝、透析クリニックの近くの駐車場に車を置いて、一緒にクリニックに入った。シングルベッドの横に小さな椅子を借りて4時間、一部始終を観察した。 とにかく仰天したのは、針の太さ……。事前に聞いてはいたが、畳針のようだった。一般の採血用の針が22ゲージ(0.7)に対して、透析用の針の太さは17~15ゲージ(1.4~1.8)、採血用の2倍以上。しかも、長さは平均38もある。 健康診断の採血のとき、看護師がよく「チクッとしますよ」と言うけれど、透析の場合は「チクッ」では済まない。シャントの脱血側と返血側2ヵ所それぞれにしっかり、グサリと奥深くまで刺し込まなければ、途中で針が抜けて大出血でもしたら大変だ。この穿刺の痛みで透析ができなくなる人もいるというのも頷ける(最近は穿刺をする箇所に事前に麻酔テープを貼るなど、患者の痛みへの配慮は進んでいる)。 血液検査と同様、穿刺が上手な看護師や技士(医療機器を扱う臨床工学技士)もいれば、苦手な人もいる。抜針のときも、患者に負担をかけぬよう角度を考えて丁寧に抜く人と、業務に追われてサッと自分本位に抜く人とでは痛みがまったく違うらしい。透析室で毎回4時間、常に定位置から定点観測をさせられているに等しい透析患者は、クリニックの担当者の性格から技量までよく知っている。林も、下手な人が自分の担当に当たると、その日は透析の間、抜針の痛みを想像して憂鬱になるとこぼしていた。 さて穿刺が終わり、準備が整うと、透析器本体のスタートボタンが押される。 それぞれの患者にあわせて設定した血流の速度で、血液ポンプという部品がクルクル回り始める。シャントの脱血側に刺したカテーテル(細い管状の医療器具)から、古い血液がどんどん吸い上げられ、半透明のカテーテルが真っ赤に染まっていく。 透析器本体に達した血液は、ダイアライザー(人工腎臓)とよばれる筒状の「ろ過装置」にジワジワと沁み込み、老廃物や水分が取り除かれ、浄化されたあと、シャントの返血側から体に戻される。「透析をまわす」という表現は、透析器の血液ポンプがクルクルと回転する様を言葉にしたものなのかもしれない。私は全身の血液が透析器を通してグルグルと循環する透析の一部始終をわが目で見て初めて、この医療がいかに大変なものかを実感した。 透析中の患者の姿が、テレビのニュースでたまに映ることがある。一見、彼らはベッドにただ寝ているだけのように見える。透析中は休めるから楽だろうと思ったら、それはまったく違う。身体の中では大変なことが起きている。 林の前腕のシャントに感じた、あのザザザーッという激しい血流の手触りを思い起こせば、あれだけ不自然な勢いで全身の血液を外に出して、また戻すという作業が、どれだけ心臓や血管に負担をかけるかは素人でも容易に想像がつく。4時間の透析は、フルマラソンを走るくらいの負担があると比喩的に言われるが、透析が長期に及ぶと、心臓が苦しくなったり、手足の末端や穿刺をしている部分に痛みが出たりする患者も少なくない。 心理的な圧迫も大きい。やわらかなシャントの両側に太い針を2本、奥深くまで突き刺されて、ほとんど身動きのできない状態で4時間じっと我慢。その間、寝がえりも打てず、トイレ休憩もない。 そんな辛く長い4時間の透析の間も、林は無為に過ごしたくないと、自由になる右手に本を持った。片手でページをめくるコツも覚え、重たい本でも器用に操っていた。 「俺は透析の時間を確保するために、どうしても仕事上、ハンディがある。それで透析の時間を、すべて本を読む作業に充てたんだ。読書量が飛躍的に増えて、仕事の幅も奥行きも広がった。君も、もっと本を読んだらいい」 どんなマイナスも必ずプラスに変えようとする人だった。 私は少しでも林の感覚を体験してみようと、自宅のソファで同じように左手を伸ばして4時間、横になろうとトライしたことが何度かある。玄関のチャイムを切り、携帯電話と飲み物をそばに置き、リラックスした状態でやってみたが、結局、一度も完遂できなかった。同じ姿勢を保って横になり続けることが、あれほど苦痛とは思わなかった。 私と同じような実験をした研究者がいる。岩手保健医療大学の三浦靖彦教授が2023年、日本透析医学会で発表されたものだ。 三浦教授は、透析患者の本音と、透析スタッフの声との間に乖離を感じ、3施設の20代から40代の透析スタッフ10人に血液透析を「疑似体験」してもらうパイロット研究を行った。もちろん穿刺はしないが、4時間ずっと利き腕と反対の前腕を固定し、血圧測定器を装着して定時に測定をしながら、自分が勤務する透析室のベッド上で過ごす。それも患者さんが透析をするのと同じ時間帯に一緒に行った。 体験後のアンケートでは、長時間の拘束や、他人の目に晒されることの苦痛、患者を安楽にさせることの重要性への気づきなどが寄せられた。そして3ヵ月後のアンケートでは、患者への声かけ頻度が増加し、体位変換の援助、会話時に目を合わせることなどケアが変わったとの回答が寄せられ、行動変容が確認されたという。 三浦教授は、看護の分野ではその内容が看護者のもつ共感レベルに大きく左右されることが多いとされるように、透析スタッフにおいても可能な限り疑似体験をすることが望ましいと研究の成果をまとめておられた。 初めて透析に立ちあって以降、仕事の都合のつくときは、なるべく透析に同席した。足がつりかけたとき、看護師の作業場を借りてレンジでホットタオルを作って足を温める。止血のとき、スタッフに代わって穿刺部を押さえて圧迫する(約10分の止血が必要)。手伝えることはたくさんあったし、なにより私がそばにいると林がうれしそうだった。 クリニックの側も(自分たちの仕事が減るせいか)快く一緒に居させてくれた。ベッドが近い人たちと軽い会話が飛び交って、雰囲気も明るくなったように思う。本を読む彼のそばで私もまた読書にふけり、資料や文献を読みこむ作業がぐんと進んだ。 しかし透析室を見渡してみると、家族がベッドに付き添っている人はほとんどいない。誰もが自分の生活で忙しいのだから当然かもしれない。ということは、かつての私がそうだったように、多くの透析患者の家族は、当人がクリニックでどんなことをしているか何も知らないということになる。 透析患者は普通に自分の足で歩いて家を出て、また普通に家に帰ってくる。通院する様子は、まるで通勤と同じ。見た目は自立していて、健康な人と何ひとつ変わらない。内臓疾患はどれも似たようなものかもしれないが、透析患者の場合、透析を止めれば死に至る。透析という医療は、見た目と現実の深刻さに、大きな隔たりがある。 林も透析を始めたころ、こんな出来事があったという。 当時、彼は両親と同居していた。透析の日の真冬の午前5時前、始発の電車に乗るため家を出ようとすると偶然、父親がトイレに起きてきて、真っ暗な廊下で鉢合わせた。 「お前、こんな朝早く、どこへ行くんだ!」 父親に本気で怒鳴られたという。 「こっちは生きるため必死に早起きして週に3度もクリニックに通っているというのにさ、親父たちはまったく別の世界にいるんだって、あのときは啞然としたよ」 義父は特別に冷たい人だったわけでも、忘れっぽい人だったわけでもない。自分が知らない世界のことには、誰だって想像が及びにくい。私自身もそうだった。 最近はコロナ禍もあって簡単ではないかもしれないが、透析患者を抱える家族の方には、ぜひ一度でもクリニックの様子を見てもらえたらと思う。透析患者は孤独だ。4時間ただベッドに横たわり、痛みに耐え、時間が過ぎるのを待つ。透析は腎臓の働きの一部を「代替」する治療で、腎臓を「治す」のではない。残念ながら透析を続けても、元気になるわけではない。このまま一生、機器に繫がれて生きるのか、自分はいつまで生きられるのか、そんな不安に苛まれている患者も多いと思う。 透析が一体どんなものなのか、身近な家族がほんの少しでも透析の時間を思いやってくれたら、それだけでも患者の孤独感は癒やされるのではないか。私は初めて知った透析医療の過酷さと、それでも不平ひとつ漏らさぬ林の様子を見ていて、透析患者が抱える最大の苦痛は、心の痛みだと思った。 * さらに【つづき】〈「俺はさ、バナナをいっきに食べたら簡単に死ぬらしいよ」…透析患者につきまとう「突然死」の恐怖〉では、透析患者の突然死について見ていきます。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)