箱根駅伝出場の元監督が異例の「選手」復帰…上野裕一郎38歳が佐賀で目指す「恩返し」「瀬古(利彦)さんと両角(速)先生が心配してくださって…」
半年ほどで「九州の日本人トップ」に
練習の成果か、上野の体は見る限り、だいぶ絞られている感がある。2018年12月に監督に就任してからは、筋トレなど一度もしなかったが、現役復帰の際、筋力をつけるために筋トレを始めた。体幹の強さも戻ってきて、体重も66.5キロから63キロまで落ちた。監督時代に走っていたタイムで今は楽に走れるようになった。 「2月に個人合宿をやって、感覚的に良くなったと思えたのは、3月中旬です。走りのベースとなる部分、クロカンや距離走、ロングジョグを休みながら継続していくことでベースが上がってきて、ポイント練習でもスピードに乗るようになったんです。ここまで上げて来られたのはひらまつ病院のために走力を戻して結果を出す、日本選手権に出るというモチベーションがあったからで、そういう目標がないとダメだなって改めて思いました」 4月、兵庫リレーカーニバルの10000mでは最初、2分52秒のペースで走り、2分40秒まで上げた。このままのペースでいけば28分35秒切りも可能だったが、後半に力んでしまい、それでも28分42秒38で日本人2位となった。5月19日、九州実業団陸上選手権の男子5000mでは13分54秒77で日本人トップの2位に入った。 「このレースは勝つつもりとか、日本人トップとかぜんぜん考えていなかったんです。チームの選手たちを引っ張って、そこから先頭が見えたら追おうかなと思ったんですが、けっこう暑くて風も強く、みんな崩れてきたんです。僕は楽だったので前に行ったんですが、ケニア人選手に届かなくて。トレーニングの一環として出場したのですが、思いがけず順位もついてきてよかったと思いました」
選手時代と違う一面
このレースを練習の一環と言えるところに、以前とは異なる上野が見えた。 「僕は、38歳、もうすぐ39歳になります。2007年に13分21秒49の自己ベストを出した時のようにレースに何本も出て、バンバン記録を出せる状態じゃない。1本1本をすごく大切にしています。そのために、このレースは練習、このレースは勝負というのを明確に分けています。目的意識を持ってレースをすることの重要さは、立教大で指導している時に身についたものです。強化と勝負を分けて考えろと学生に言っていたのに、自分ができないとダメだろと思い、そういうマインドになりました」 今年の日本選手権の出場は不可能になったが、来年には東京世界陸上がある。かつてのように世界の舞台に挑戦するのかと思いきや、上野は「そういうビジョンはないです」と笑った。
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