「おおおぉぉぉ」ラグビー早明戦、なぜ名勝負が生まれるのか? 第100回を終えて考える“赤黒”と“紫紺”の歴史「解説席の五郎丸も田村優も…」
地響きのような唸り声。 後半40分を過ぎて、明治が早稲田ゴール前に迫ったとき、明治のファンから「おおおぉぉぉ」という唸り声が上がった。 【画像】「五郎丸も田村優もバチバチ!?」解説席も熱くなった“100回目の早明戦”…エディーもお気に入りのFB矢崎由高、話題の1年生SO服部亮太、明治キャプテン木戸大士郎ら将来有望ラガーを見る! そうそう、これが早明戦。 名前は同じ国立競技場、今ではどこか空々しいスタジアムに変わったけれど、「押せ」という怒号と、「お願いだから、耐えて」という無言の願いに変わりはない。 1981年も、そうだった。 1987年の雪の日も、そうだった。 集まり参じて人は変われど、100回の歴史を重ねてなお、毎年のように早稲田ゴール前で攻防が繰り広げられるのは、早稲田と明治の両校に、解読不能なDNAが埋め込まれている――としか思えない。 第100回、最後の最後まで勝負の分からない好勝負だったが、劣勢を予想されたチームが好勝負を演出するという構図も変わらない。今年の勝負を面白くしたのは間違いなく明治だった。
「早稲田」のDNAとは?
早明戦が終わってから、Number特別編集「100回記念メモリアルブック」を読む。今回、執筆者としても参加したが、両校のDNAについて深く考えさせられる内容だ。 まず、早稲田とはなにか。 先日、2019年度の大学選手権で早稲田を久しぶりの優勝に導いた相良南海夫前監督と話す機会があった。 「早稲田って、バックスのイメージが強いかもしれませんけど、その時々の陣容に合わせて戦略、戦術を練るのが『早稲田』なんじゃないかと思うんですよね」 なるほど。歴史的にバックスの展開力が光ったのは、バックスに「人材」がいて、その結果だったのではないか、という考え。 「1989年、清宮(克幸)さんがキャプテンの時は、ニュージーランドからグレアム・ヘンリー(後のオールブラックス・ヘッドコーチで、2011年ワールドカップ優勝に導く)がやってきて、10番、12番、13番が短い間隔で立つ『ショートライン』を採用しました。これも縦に強い選手がバックスにいて、なおかつFWが強く、ボールのキープ力があったからです。その清宮さんが監督になってからは、リクルートでもFWの選手を積極的に勧誘して、FWで勝てるチームを作り上げましたよね」 いわば、合理的なのだ。 21世紀、早稲田の指導者で大きな影響力を誇ったのがその清宮である。
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