航空自衛隊が誇る空飛ぶレーダーサイト「早期警戒機」の秘密に迫る!E-2C、E-2D、E-767って何が違うの?
航空自衛隊 警戒航空団 第603飛行隊長 坂田篤史2等空佐(以下、坂):見て分かりやすいのは、ノーズギア(前脚)の部分のランチバーでしょうか。これは空母のカタパルトシャトルに接続して、バシュッと射出するための装置です。よく見ると前脚も主脚も、機体の割にすごく太い。これは空母に着艦するために強化されているものです。 米海軍パイロットの空母への着艦は、「制御された墜落」と言われている。それほど着艦時の衝撃は大きいのだ。
● 「E-2D」は「E-2C」とどう違う? F:これから徐々に導入されていくという、E-2D早期警戒機について教えてください。 坂:そうですね。パッと見はほとんど変わりませんが、中身は大きく進化しています。操縦者としては、フルカラー液晶デジタルのグラスコックピットに変わったことが大きな変化です。見た目は似ていますが違う機種になるので、CとDでは別の資格が必要です。簡単に言うと、免許の種類が違うんです。 F:どちらか片方しか操縦できない? 坂:私は両方操縦できますが、隊員の中にはDしか乗れない人もいます。 F:新しいぶん、多くの部分が電子制御になり、E-2Dの方が操縦はラクなのでしょうね。 坂:Dはグラスコックピットで、計器がアナログではなくデジタル表示になっているので、慣れてしまえばその方がラクだとは思います。長くE-2Cに乗っている操縦者は、なかなか目が慣れません。そういう難しさはあります。もちろんシステムや表示が新しくなって、パイロットの負担を減らすためにいろいろ性能が上がっているので、そこに慣れてしまえば間違いなくDのほうが良いと思います。 ● 早期警戒機は、約40年前には青森に、10年前から沖縄に配備されるようになった F:E-2Cの導入は、旧ソ連のベレンコ中尉の亡命事件※以降、約40年前からですよね。 ※1976年9月6日。旧ソ連の空軍パイロット、ヴィクトル・ベレンコ中尉がMiG-25戦闘機で日本の函館空港に強制着陸して亡命した事件。ベレンコ中尉は冷戦下のソ連から脱出し、アメリカに政治的庇護を求めた。この事件により、当時最先端のMiG-25の設計や技術が西側諸国に明らかになり、冷戦時代の軍事的緊張が高まった。この事件は日本の防空体制の見直しが進められる契機となった。 坂:はい。当初は青森の三沢基地から配備が始まりました。 F:沖縄もその直後から?