アジャコングが語るプロレスの醍醐味 ブル中野との抗争で見えた「自分の肉体を通じて人に何かを伝える」
――対抗戦以前はどうでしたか? アジャ:対抗戦以前は全女のプロレスしか知らないし、女子に関しては「プロレス=全女」でした。ただ、子どもの頃から男子プロレスを観ていて、特に外国人選手が好きだったので、けっこう早いうちからWWEとか、昔のWWFとかも観ていたんです。要は「プロレス」と名のつくものはなんでも観ていたので、いろいろなスタイルに対する抵抗感がほかの選手より薄かったのかもしれません。 ――好きだった外国人選手とは? アジャ:昔はスタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ロード・ウォーリアーズですね。アブドーラ・ザ・ブッチャーとかザ・シークとか、本当のヒールもいましたけど、どちらかというと「外国人レスラー=ヒール」みたいな感じだったじゃないですか。凶器を使ってどうのこうのじゃなくて、「体がデカくて強い化け物が来た」という感じ。彼らに日本人選手がどう打ち勝っていくかが、男子プロレスの「ヒールvs. ベビー」という構造でしたね。 子どもの頃は、自分の父がアメリカ人で母が日本人であるということを否定したかったんですけど、外国人選手たちの強さとかすごさとか、「プロレスラーってこうだな」というのがあったので、どちらかというと日本人選手よりも外国人選手のほうが好きでしたね。ロード・ウォーリアーズなんて、パイルドライバーをされてあんなにスクっと起き上がる人を初めて見たので、「こいつらには誰も勝てないんじゃないか?」と思いました。プロレスは答えがないから、衝撃を受けたことってないんですけど、唯一、衝撃を受けたのはロード・ウォーリアーズかもしれないですね。 【ブル中野との抗争で気づいた"伝える"ことの大切さ】 ――東京女子プロレスが『夢プロレス-dream on the ring-』というYouTube動画シリーズを配信していました。プロレス未経験の女の子たちが、夢を叶えるためにプロレスに挑戦するというプロジェクトですが、ゲスト出演されたアジャ選手が「プロレスラーはお客さんに何かを伝えるのが一番の役目」とおっしゃったのが印象的でした。ご自身は「お客さんに何かを伝える」ということをいつ頃できるようになりましたか? アジャ:ブル中野さんと試合をやっていくなかで、私はとにかく「ブル中野を倒すんだ、やらなきゃやられちゃう」みたいな感覚で、とにかく中野さんしか見ていなかったんですけど、中野さんは私を通じて常にお客さんと闘っていたんです。 ※1990年、ブル中野率いるヒールユニット「獄門党」を離脱。「ジャングル・ジャック」を結成し、獄門党とヒール同士の抗争を繰り広げた。 アジャ:約2年半の抗争のなかで、最初の半年から1年くらいはブル中野しか見えてなかったんですけど、途中から、中野さんを通じてお客さんが見えるようになってきたんです。1年半、2年くらい経って、ようやくお客さんが何を求めているのか、中野さんを通じてなんとなく見えるようになってきました。