歴代政権の「パンドラの箱」 日米地位協定の改定、沖縄で交錯する期待と疑心
1960年の締結以来、一度も改定されていない「日米地位協定」。石破茂首相は改定に意欲を示し、衆院選公示前の党首討論会では「必ず実現したい」と踏み込んだ。歴代政権が封印してきた「パンドラの箱」を本気で開ける気があるのか。米軍基地が集中する沖縄では「期待」と「疑心」が交錯する。 【大学周辺に殺到する米兵 ヘリ墜落の現場】
「ここはアメリカなのか」
「いつか落ちるのではないか」。街の中心部に米軍普天間飛行場があり、米軍機が日夜飛び交う沖縄県宜野湾市。市内の沖縄国際大学前で鍵屋を営む宮里秀雄さん(61)の嫌な予感が現実のものとなったのは2004年8月13日のことだった。 宮里さんはその日午後、バイクで息子を塾に送り届け、店に引き返していた。大学の近くを通りかかると、隣接する米軍普天間飛行場のフェンスを米兵たちがよじ登って、基地外へと飛び出していった。大学の敷地内で米海兵隊の大型輸送ヘリコプター(全長約27メートル)が墜落し、黒煙を上げて燃えていた。 騒然とする現場を偶然持っていたカメラで撮影した。周辺にはヘリの部品が飛び散り、軍服姿の米兵が一帯を規制した。消火後、現場検証に臨もうとした日本の消防や警察までもが現場から閉め出された。衝撃を受けた。「基地の中ならともかく、外で起きた事故なのに米軍が現場を仕切る。ここはアメリカなのか」と。 当時、防衛庁長官を務めていたのは石破氏だった。先月17日に那覇市であった自民党総裁選演説会。石破氏は当時の思いを率直に語った。「沖縄の警察は入ることもできなかった。全ての機体の残骸は、米軍が回収していった。これが主権国家なのかと」。そして、「少なくとも地位協定の改定には着手すべきである」と言った。
繰り返される事故
日米地位協定の締結時に交わされた「合意議事録」は、米軍機を含む米軍の財産について「日本国の当局は、捜索、差し押さえ、検証を行う権利を行使しない。ただし、米軍当局が同意した場合は、この限りでない」とする。 沖縄県警は当時、この規定に沿って、航空危険行為処罰法違反容疑での現場検証と機体の差し押さえなどについて米軍に同意を求めた。だが、米軍は事実上拒否し、事故の3日後から機体の撤去を開始した。県警が現場検証をできたのは事故の6日後。米軍の撤去作業が終了した後だった。 同じような光景は、米軍機が日本国内で事故を起こす度に繰り返される。 16年12月に沖縄県名護市沿岸部に米軍輸送機オスプレイが不時着し、大破した事故でも機体は米軍が回収。海上保安庁は機体やフライトレコーダーを押収できなかった。23年11月には鹿児島県・屋久島沖で米軍オスプレイが墜落し、乗員8人全員が死亡した。海保や漁師らも散らばった機体の残骸を集めたが、米軍に回収された。海保関係者は当時、「地位協定により、米側から要請があれば応じざるを得ない」と語った。