医療訴訟の判決での勝訴率はわずか2割…元裁判官が教える「医療紛争の具体的予防策」
医師選びから慎重に
以上のとおり、医療紛争は大変ですから、その予防の必要性は高いといえます。 ことに、ありふれたものではない病気(ないしその可能性)については、(1)まずはインターネット等で病気に関する基本的な情報を収集し、(2)医療機関を綿密に選び、(3)特別に急がない場合にはほかの医療機関にもかかってセカンドオピニオンを得、(4)手術等の選択については、よく説明を聴き、疑問点についても尋ねてみる、といったことが必要でしょう。 (2)については、同じ医者といっても、その能力、知識には大きな差があるのを知っておくべきです。 一般的にいえば、地域の基幹病院、それが弱ければ大都市の病院がいいでしょうし、種類では、大学・国立病院が相対的に高レベル、公立はそれに準じるがかなりの差があり、私立病院、開業医はさらに(極端に)差が大きいといえるでしょう。なお、レベルの高い開業医ほどよい病院を紹介してくれやすいことにも留意しておくべきです。 もっとも、以上はあくまで一般論であり、常に大学病院等大病院がいいというわけでもありません。どんな病院でも担当医の能力やキャリアに個人差はあります。 また、たとえば、うつや神経症等のよくある精神科系の障害では、通いやすい場所の、親切で、説明がていねいで、患者の身になって考えてくれるドクターを選んだほうがいいと、よくいわれます。そのような医師は、十分な能力も備えていることが多いのです。 今では、インターネットで医師の経歴や専門性、常勤か否か(私立病院の非常勤医師の勤務態度は、よくない例があります)などは調べられますし、知人等からもかなりの情報が得られると思います。私と妻も、医師の知り合いがないこともないのですが、これまでは、それに頼らず以上のような情報を得て複数の病院にかかってみることで、おおむね適切な治療を受けられています。 (3)については、たとえば、ある友人が、整形外科の病気で手術すべきかどうかを迷い、最初に、手術がうまいといわれる私立病院経営者医師に強く手術をすすめられたのですが、近くの病院に来ている大学病院医師にかかったところ、まだおよそ手術を考える段階ではないと言われ、そこに通院を始めた、といった例がありました。 このように、医師についても、弁護士と同じく、性格、経歴、利害関係等のさまざまな要素が反映して、その考え方の違いが出てきます。ことに、医療では、セカンドオピニオンが重要といえます。 (4)については、判例上、医師にはかなり高度な説明義務が要求されていますから、特に手術等危険性の高い治療については、複数の方法がある場合をも含め、手術等の内容、必要性、危険性等について、ていねいな説明がなされるのが普通です。患者の疑問に対しても、かみくだいたていねいな応答が必要とされます。 こうした説明をきちんとしない医師は、避けるべきでしょう。また、質問に対する応答によって、医師の能力や性格も見分けることが可能になります。 ところで、私の判決で判例になっているものの一つに、精神科医の説明義務に関するものがあります。このケースでは、医師が、原告の家族らから相談を受けてした統合失調症との診断と水薬の非告知投薬(患者には知らせずに家族が飲み物等に薬を混ぜて飲ませる。少なくとも当時は、広く行われていました)について、後に、「不法行為」として訴えられました。判決では、「精神科医による非告知投薬は、望ましくはないが、病識(病気の自覚)のない患者に治療を受けさせる適切なシステムを欠く日本では、一定程度容認せざるをえない。しかし、その条件は厳密に考えるべきであり、それを欠く場合には不法行為となりうる」とした上で、その事案については請求を棄却しています(千葉地裁2000年〔平成12年〕6月30日判決、『ケース』39事件。なお、このケースでは、実際には、原告は、処方された水薬を飲まされていません)。 調べてみると、この判決は医師の論文でも多く取り上げられているのですが、論調としては、「当時はともかく、現在では、やはりインフォームドコンセント(説明に基づく同意)が必要ではないか」という意見が強いようです。実をいえば、私もそれはよくわかっており、「それでも、不法行為の成立には一定程度慎重であるべきでしょう」と判断したにすぎないのですが……。医師らは、純粋に医学的な視点から、医学論文を読む感覚で、判決を読んでいるような気もします。いずれにせよ、ここでも、根本にあるのは、日本社会における「社会的な問題、葛藤の核心を直視する姿勢の不足」、また、「それに適切に対応できる制度の欠如」ということなのです。