ロッカーは「爆弾が落ちたよう」だったが…退団した助っ人は「責任があるとしたら私だ」【愛すべき助っ人たち】
メジャー通算1623安打も……
新天地、それも異邦の地でプレーしようとする助っ人で、ちょっとやそっとのことで帰国しようなどという生半可な気持ちの選手は少ないだろう。ただ、出場機会はあったのに、結果を残すことなく早々に帰国してしまう助っ人もいた。近鉄へ1984年に入団したドン・マネー。メジャー通算1623安打の超大物だ。彼も、そんな助っ人の1人だった。 【選手データ】ドン・マネー プロフィール・通算成績 70年代のプロ野球は、早々の帰国で騒動になる助っ人が多い時代だった。開幕から29試合で8本塁打と、いきなり真価を発揮したマネーだったが、「マンションの部屋にゴキブリが出たから」退団、ということになり、お騒がせ助っ人と当初は同視されて批判を集める。だが、しかし。部屋のゴキブリだけで退団、帰国を決めたわけではなく、これはシーズン途中で退団する決意を固めるトドメのようなものだったのかもしれない。 もともとマネーは、メジャーのストライキのときに日本のプロ野球をテレビで見たことがあったという。後楽園球場の巨人戦だ。色鮮やかな人工芝の球場で、観客も満員。これは日本でプレーするためのキッカケのひとつであり、すれ違いの始まりでもあった。そんなマネーに粘り強く入団の交渉をしてきたのが近鉄。新築マンションのパンフレットを見せ、「神戸には外国人が多く、英語で不便はない」と言われたという。だが、近鉄の本拠地は藤井寺球場。ロッカーは「爆弾が落ちたように汚かった」(マネー)という。 さらに、当時のパ・リーグは現在では想像もできないほど人気がなく、スタンドはガラガラだった。加えて、令和の現在でも、英語で不便がないところのほうが少ないニッポン。当時から神戸に外国人は多いかもしれないが、やはり日本人のほうが多い。マネーよりも先に家族が参ってしまって、ついにマネーも「お金を返してもいいから退団させてほしい」となった。 当初の「ワガママ」という批判は、批判する側に誤解があったといえよう。最後にマネーは「近鉄球団にも首脳陣、選手にも責任はない。あるとしたら私だ」とメジャー・リーガーの矜持を見せて、帰国の途についている。 写真=BBM
週刊ベースボール