「患者の痛みがわかるようになった」感染症医・岡秀昭が難病患者になって見えたもの
──どうしてこのようなことが起きるのでしょう。 「やっぱりこれもストレスだと思います。コロナで生活の多くが制限されていて、個人攻撃がストレス発散になっている。僕ら医師がそれを怖がって医療活動を抑えた場合、社会にとって医師を攻撃するメリットは少ないのではと思います。医療逼迫が起こっているなか、コロナに立ち向かっている医師たちの萎縮につながる誹謗中傷はやめてほしいと思います」 ──医療の逼迫によって、現場では命の選別をせざるを得ない場面もあったと聞きます。それもストレスにつながりましたか。 「はい。医師は命を助けたいと思ってこの仕事を選んでいるのに、命を諦める選別的な話をしなければいけない。さらに、そんなときの心ない声もストレスになります。命の選別が行われてしまうから感染症を抑えましょうと発信すると、『大学病院は今まで患者の受け入れを断って市中病院に押しつけてきただろう。ざまあみろ』という趣旨のことを言ってきた人がいました。そういう言葉に医療従事者たちは心を痛めるわけです。そんなことをやっても足の引っ張り合い、泥のぶっかけ合いにしかならないのに」
弱くなって患者に近くなった
医師から患者、健康な状態から難病になって初めて見えてきた景色が岡医師にはあったという。 ──難病になって気づいたことはありますか。 「健康だったころの力が10だとすると、今出せるのは2くらい。頭もぼーっとして集中できないこともある。僕はこれまで人並み以上に努力し続けてきたと自負していて、それが自信につながっていました、しかし、今は弱くなったし、努力できなくなってしまった。でも、その分、人の話を聞くようになりました。人の力を頼り、人の力のありがたさをわかるようになった。そして、事情があって努力できない人もいることに気づいたし、弱い人と気持ちが通い合うようになったとも思っています」 ──医師が患者になって見えてきたものは何でしょうか。 「かつて呼吸器内科にいたときには、肺がんで『痛い、苦しい』と言って亡くなっていく人をたくさん見てきました。『痛い』と言われたらその痛みをとってあげたいと考えますが、ものによっては治らないものもある。そんなとき、以前の僕は話を聞くけれど、治らないからしょうがないよねと思っていました。ところが、今は『痛い』と聞いたら、どれぐらい痛いのかに思いを馳せるようになりました。医者・患者という線を引かず、もっと近い距離で患者さんと接するようになった。今の僕を昔の自分が見たら、あまり活動もできず、だめな医者だと考えたでしょう。だけど、昔の僕より今のほうが、部下にも患者さんにも優しいかもしれない。そんな自分の変化は病気になってよかったことかもしれません」