実は希少ではないダイヤモンドが高価な宝石になるまで、なぜ「心理的必需品」となったのか
史上最も成功したキャッチコピー「ダイヤモンドは永遠の輝き」と巧みなマーケティング戦略の成功の物語
1960年、グラディス・バブソン・ハンナフォードは、米フロリダ州立大学で課外授業を行った。「ダイヤモンド・レディー」の名で知られる彼女は、ダイヤモンドの「専門家」としてダイヤモンドに関する「教育的」な講演を年間数百回も行っていたが、実は広告代理店に雇われた人物だった。彼女に与えられた使命は、野心的かつシンプルなもの。それは「米国の女性にダイヤモンドを欲しがらせること」だった。 ギャラリー:実は希少ではないダイヤモンドが高価な宝石になるまで 写真6点 実は、ダイヤモンドはたいして希少な宝石ではない。当時、その価格は広告代理店の上得意である世界的なダイヤモンド・コングロマリット(複合企業)の「デビアス」によって決められていた。けれどもハンナフォードは講演で、ダイヤモンドは貴重な宝石で、感情的にも歴史的にも重要な意味を持つと説いた。 彼女は学生に「永遠に品質が変わらないダイヤモンドは、永遠の愛と結びついているのです」と語りかけた。それを聞いた女子学生たちは、未来の婚約者にはダイヤモンドの指輪を贈らせようと心に決めた。 ハンナフォードの講義は、ダイヤモンドの婚約指輪を普及させるために数十年にわたって続けられたキャンペーンの1つにすぎない。今日、ダイヤの指輪は婚約に必須の贈り物となっている。しかし、デビアスがこのありふれた宝石をロマンスの希少な象徴として宣伝しはじめた時代には、婚約者にダイヤの指輪を贈る伝統など存在していなかった。
真の富と贅沢の象徴に
19世紀まで、ダイヤモンドの主な産地はインド亜大陸と南米だった。ダイヤモンドは古代世界では古くから知られていたが、西ヨーロッパで注目されるようになったのは13世紀以降のことだ。その後、ルネサンス期に職人たちが新しい道具を使ってダイヤモンドの原石をカットして研磨し、きらびやかな輝きを与えて、見事なジュエリーを製作するようになった。 カッティングを施して研磨したダイヤモンドは息をのむほど美しかった。その上、当時は希少だったため、それを手にすることのできる一握りの人々にとって、富と贅沢の象徴となった。 1477年、後に神聖ローマ皇帝となるマクシミリアン1世が婚約者のマリー・ド・ブルゴーニュに贈ったダイヤの指輪もそうしたものの1つだ。これがダイヤの婚約指輪の起源だとする説があるが、王族の間では当時からすでにダイヤの婚約指輪を贈ることが流行していたとする説もある。 しかし、ダイヤの婚約指輪を贈る習慣は一般の人々にまでは広がらなかった。人々は結婚が決まると、鉄の指輪から衣服や家畜まで、さまざまなものを交換していた。