実は希少ではないダイヤモンドが高価な宝石になるまで、なぜ「心理的必需品」となったのか
一転して失われた希少価値
1860年代、南アフリカのオランダ人入植者ヨハネスとディーデリックのデ・ビア兄弟の農場でダイヤモンドが発見された。兄弟はその後、自分たちの所有地にあった鉱山を英国の会社に売却した。 兄弟の名を冠したデビアス鉱山は、英国の企業家で悪名高い政治家でもあったセシル・ローズに引き継がれた。ローズは近隣で新たに発見された鉱山も買収し、最終的にこの地域のダイヤモンド産業全体を統合した。コングロマリット「デビアス」の誕生だ。 しかし、南アフリカの鉱山の発見はダイヤモンド産業に大きな試練をもたらした。ダイヤモンドの世界的な供給量は桁違いに増え、デビアスの比率はその90パーセントを超えるに至ったが、供給過剰になったダイヤモンドの金銭的価値と高級品としての評判を維持するという微妙な課題も抱えることになったのだ。 20世紀初頭、世界大戦と世界恐慌によってヨーロッパでのダイヤモンドの需要が激減すると、デビアスと当時のオーナーだったアーネスト・オッペンハイマーは、未開拓の市場として米国に狙いを定めた。 彼らは米国人に「ダイヤモンドは永遠の愛を象徴するものであり、高い金額を支払う価値がある必要不可欠な贅沢品だ」と信じ込ませるためのプロジェクトに着手した。そこで活躍したのが、フィラデルフィアの広告代理店N.W.エイヤー・アンド・サンだった。
キャンペーンには英国の王族も一役
広告代理店のエイヤーは1940年代から、ダイヤモンドのイメージと、その希少さと象徴性に関する物語を米国の消費者に吹き込んだ。 雑誌の広告では、婚約したセレブとダイヤの婚約指輪が紹介された。デビアスはハリウッドスターにダイヤモンドのジュエリーを貸し出して身につけさせた。 また、ダイヤモンド・レディーのような人々を女性クラブや社交グループ、さらには高校にまで派遣してダイヤモンドの魅力を強調させ、ダイヤモンドと結婚を結びつけて考えるように米国人の潜在意識に働きかけた。 キャンペーンには王族も一役買った。1947年には英国のエリザベス女王が南アフリカのデビアスの鉱山を訪れ、南アフリカ政府からは燦然と輝くダイヤモンドのネックレス、デビアスからは6カラットのダイヤモンドを贈られた。 エリザベス女王が婚約者のフィリップ殿下から贈られた婚約指輪は、フィリップ殿下自身がデザインした。そして、この指輪に使われたダイヤモンドはフィリップ殿下の母親のティアラにあしらわれていたもので、さらにこのティアラはロシア皇帝ニコライ2世からの贈り物だった。 この象徴的な(そして広く知られた)婚約指輪は、人々のダイヤモンドへの渇望を煽り、ダイヤの婚約指輪を贈る行為は男性の側にも大きな意味があることを消費者に知らしめた。デビアスは、女性の指に輝くダイヤモンドは、それを贈った男性の経済的成功や社会的地位の象徴であるとすることで、男性の心にも強く訴えかけたのだ。 マーケティング・キャンペーンは至るところで展開され、1948年に発表された「A Diamond is Forever(ダイヤモンドは永遠の輝き)」というキャッチコピーは、今日でもデビアスとダイヤモンド産業全体に使われており、史上最も成功したキャッチコピーとして知られる。ちなみに、このキャッチコピーを考案したエイヤーのコピーライターであるメアリー・フランシス・ゲレティーは、生涯一度も結婚しなかった。