もう電話かけてこないで!入院先で認知症の女性と同室に…娘との電話に感じた「ひとりっ子」と介護
認知症の人を尊重する、プロの温かさに触れる
要支援と要介護では、給付額や受けられるサービスが大きく変わってくるという。 高口「本の中で、お姉さんが通う作業所の方々のエピソードがありましたよね。職員さんとにしおかさんの面談で、お姉さんがお風呂に入らないことを心配してくださった際の対応も素晴らしいなと思いました。 にしおかさんとコンタクトを取ったことは内緒にして、お母さんに相談するスタンスを貫いてくれましたよね」 にしおか「そうなんです! 職員さんは母の気持ちを立てくださるんです。本当に優しいです。で、姉は作業所の入浴サービスを利用することができたんです。これでお風呂問題解決と思ったら、数回利用して、その後母は《作業所で姉は何十人も団子状態で風呂に入れられ虐待されている》っていう妄想で、サービス利用を止めちゃったんです。全くもって事実無根です。ないです。そんなこと。こんなにしてくださっているのに申し訳ないです」 高口「そうでしたね。お母さんは、お姉さんを守らなくてはという責任感がとても強いから、虐待をしているという気持ちに繋がったのでしょうね。 でもね、にしおかさんがそれに対して、違う、間違っていると言って、否定したり、責めなかったことも素晴らしいと思いました」
入院先で同室になったご婦人の「電話」
高口「騙さない、欺かないことはとても大切です。認知症ってどうせ忘れるんだから、何を言ってもわからないだろうと思って、騙したり、適当にあしらってしまう方もいるんですよね。 でもね、実はわかっているんですよ」 にしおか「そう思います。どんなに面倒くさくても、母に対してウソはつかないです。信じてもらえなくなるのは嫌です。それに一番近くにいる私が、信用できないって、母、しんどいですよね。姉のお風呂問題に関しては、パッとごまかしてその場で解決しようとしても母は多分勘づくし、解決しないし、より荒れるから、それよりはほとぼり冷めるまで待つかあ、といった感じです。基本、私、ダラダラしてます(笑)。正解は全くわからないです。私はそうしてます、くらいです」 ふたりの話を聞いているうちに、そういえばと思い出したことがある。 今年、体調を崩して入院していたときのこと。認知症のご婦人と病室が一緒になった。娘さんが午後にお見舞いに来たその夜、ご婦人は自らの携帯端末を使って電話をかけ始めた。 『もしもし。わたしよ』 『あら、お母さん。さっきはお疲れさま。なぁに、どうしたの?』 スピーカー機能がオンになっていたのか、受話器の向こう側の声もよく聞こえた。 通話相手は、午後にお見舞いに来ていた娘さんのようだ。 不安そうな声でご婦人が話していた。 『あのね、何も分からないの。分からなくなっちゃったの』 『大丈夫よ、お母さん。そこは病院だから』 『そうなの? でもね、分からないの。私ね、分からなくなっちゃったのよ』 『はいはい、大丈夫だから。じゃあね』 しばらくして通話が切れた。しかしその数分後、またそのご婦人は電話をかけて同じことを繰り返していた。 『私ね、分からないの』 何度も電話をかけるうちに、娘さんは出なくなってしまった。しかし懲りずに何度もかけ続けるご婦人。そして娘さんが電話に出た。 『もしもし、私ね……』 『お母さん、こっちも忙しいのっ! もう電話をかけないで! 何度言ったらわかるのよ!』 聞くつもりはなかったけれど、聞こえてしまったこの会話で、私は娘さんに激しく同調し、介護の大変さを痛感した。 そして認知症の親を介護することに対して、ますます不安に駆られたのだった。 しかし、トークイベントで二人の話を聞き、ご本人も辛かったのだろうと気づいた。 病室が一緒だったご婦人は、分からなくなったことが、怖かったのだ。それを訴えているだけなのに、なぜか怒鳴られてしまう。 電話をかけるたびに分からないことが増え、ますます不安が募っていたのではないだろうか。 介護する家族は辛抱が必要だし大変な日々だろう。しかし認知症になった本人の恐れや不安は計り知れない。 ◇「かけてこないで」なんて言いたくはないはずだ。かけた側も、かけられた側も辛い。ではどうしたらいいのだろう。介護をする人もされる人も孤独にならないように利用できるのが介護サポートなのだ。 トークイベントから感じたことの後編「ひとりっ子が考える介護…カリスマ介護士が語った「認知症の親が一番嬉しいこと」」では、そのサポートをどのように使っていくのかに話が続いていく。 文・イラスト/笹本絵里
笹本 絵里(ライター)