Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その1~この国をいまだに蝕む明治以来ほったらかしの「ねじれ」の数々
「日米安保」がもたらすねじれ
米軍占領は1951年9月に終わる。「サンフランシスコ平和条約」が調印されて、日本は主権を取り戻した。頸を切り落とされた鶏のように、その主権がどこにあるかは不分明になっていたが。そして当時は、1950年6月に始まった朝鮮戦争がまだたけなわの時だったから、米軍は日本を去ることに抵抗した。このため、サンフランシスコ平和条約と同時に、日米安保条約(第一次。正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」)が結ばれることとなったのだ。これは、日本が独立しても米軍の駐留継続を可能とする条約で、米軍が日本を守るという条項は入っていない。 それでも、在日米軍は自分を守ろうとするので、それは日本を守ることと同じだ。しかも当時は米ソ冷戦たけなわで、ソ連は日本の左翼勢力をあおって天皇制を転覆し、権力を奪取することを狙っていたから、日本の上層部はあたかも占領の継続を正当化するような安保条約を呑んだのだ。独立・主権国家という建前の陰で対米従属というねじれは、この時以来続く。 1960年の安保条約改定で、日本は平等性の改善をはかった。「日本は基地を提供する。その代わり、日本の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する」という趣旨の第四条が付加されて、安保条約は一応の双務性を帯びることとなった。米国への依存度をもっと減らしたいなら、「日本は米国の安全に脅威が生じた場合には……」という趣旨の条項を入れて、米国の安全保障に自らも貢献するか、日本の自主防衛力を増強して、在日米軍の削減を求めるか、どちらかをしなければならなかった。 だから安保条約は改定後も、片務性を帯びた。米国はことごとに、日本に米国の安全保障に対する貢献を求めた。それは在日米軍基地費用の分担から始まって、朝鮮やベトナムや中東などで米国が行う戦争に自衛隊を派遣しろという要求である。日本は、これらをすべてカネで解決する姿勢を取った。「自分で自分を守る自主防衛能力は不十分。だから米軍には守って欲しい。しかしその米軍を武力で助けることは勘弁してもらう」というのが日本の立場の基本。 自主防衛能力増強には反対し、日本を守ってくれる米国の悪口を言い、米国が対立している相手のソ連、中国と手を握ろうとする野党。これはねじれにねじれた構造で、筆者も外交官をやっていて一番いやだったのは、この点を外国人につかれることだった。 よく議論の的となる憲法第九条も、原案は米占領軍側が提示してきた草案に入っていたもので、本質は日本の武装解除に平和主義の哲学をまぶしたものなのだ。武力を持たなければ戦争が起きないのは確かだが、日本だけ武装解除されるのは危なくて仕方ない。 しかし憲法九条は日本人の多くにとっては、徴兵・重税なしにぬくぬくと平和を味わえるこの上なく良い取り引きに見えるから、日本を弱体のままにしておきたい周辺諸国の煽動を受けたものとは知らず、護憲運動に立ち上がる。筆者は、ロシアに勤務していた時、その昔のソ連時代、日本に勤務し、野党勢力に資金を渡していた人間から、直接話を聞いている。 安倍政権が2015年、いわゆる「安保関連法案」を採択し、その後、国防費の増額を図り始めたことで、状況はだいぶ変わっているが、後で言うように、今度は若者たちが自衛隊に志願しなくなってしまった。 ---------- 近代の出発点からの矛盾をほとんど解消しないまま走ってきた日本。そのツケが現在の停滞を招いているといえるが、それでは、これからの若い世代は、これをどう見てどうしようとしているのか。「Z世代は『これまでの日本』を見捨てる・その2~なんちゃって政治、なんちゃって民主主義、なんちゃって近代的価値観」で眺めてみたい。 ----------
河東 哲夫(外交評論家、元在ロシア大使館公使、元在ウズベキスタン・タジキスタン大使)