Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その1~この国をいまだに蝕む明治以来ほったらかしの「ねじれ」の数々
米軍による占領がもたらしたねじれ
日本の敗戦、米軍による占領には、プラスになる面もあった。まず、軍部による専制と言論統制がなくなり、労働組合も権利を与えられた。そして農地改革で大地主層を一掃し、多くの自営農を生み出したことは、今、東南アジア諸国の多くが農地改革ができずに大地主層の存続を許し、それが専制政治の温床になっているのを見ると、幸運だったと思う。そして大企業ではトップの連中が米軍によって追放されたことで、若手による活性化が実現した。女性には投票権が与えられ、その地位は少なくとも建前上は大きく向上した。 しかし、米軍による占領は、日本という国のあり方にいくつかの大きなねじれを残した。「何かおかしい」という、奥歯にモノの挟まったような違和感。それが今も残る。それは米国が悪いのではなく、米国が占領を終えたのにもかかわらず、我々が変えないで、変えられないでいるからだ。 まず、天皇の地位がそうだ。江戸時代、幕府に押し込められていた天皇は、明治とともに薩長勢力主導の新政府を正当化するために担ぎ上げられた。天皇を囲む公卿、役人たちは、以前はなかった宮中儀式を自ら創案さえして、天皇の権威を高めた。 太平洋戦争終結時、天皇をどうするかは、日米の間で大きな問題となった。天皇を退位させず、日本の統治機構を一つにまとめておく留め金として利用する、ただし統治の実権は与えない、というのが、当時の米国の立場。そしてこれは、彼らが作って日本側に示した今の憲法の案に盛られていた。 ここでは天皇は日本の「象徴」に過ぎず、実権を持つ国家元首ではない。日本国憲法は、国家元首を定めていない、世界でも珍しい存在になった。天皇は「象徴」なので、これは他の国の憲法では花や動物が務める筋のものなのだ。だから皇族はいつも悩む。「自分は何者なのか? 何をやったらいいのか? 『象徴』と言うなら、菊とか桜の花でもいいではないか」と。インドやドイツの大統領と同じく「国家元首」として認めるか、第一次大戦敗戦の責任を負わされて退位したドイツのウィルヘルム二世と同じく、退位していただくか、どちらかはっきりさせるべきだったのだ。 で、その日本国憲法では、国家元首はいない代わりに、主権は国民にあるとされる。「主権在民」だ。言葉としてはこの上なく、美しい。しかし、日本でものごとを決めているのは政府、つまり総理官邸、財務省等の有力省なのだ。これが合議制で動いているから、国民は、ものごとを変えるには、誰に何を言ったら動くのかわからない。政治家も役人も、一人ではものごとを変えられないのだ。選挙で政権政党を代えても、ものごとはさほど変わらない。国会の野党も、何を言っても結局多数で押し切られるのがわかっているから、与党の腐敗をついたりして、かっこうをつけているだけの時が多い。 こうした「なんちゃって」の国のかたちは、国民の心を蝕む。マスコミは政策・法案の妥当性より、政治家の心構えとか、うそを「言った、言わない」といった問題に集中して視聴率をかせごうとする。Z世代はこうした図を見て、大人たちの世界への不信感をつのらせる。