Z世代は「これまでの日本」を見捨てる・その1~この国をいまだに蝕む明治以来ほったらかしの「ねじれ」の数々
明治が生んだねじれ
明治は、日本という国の仕組みに、大きなねじれを残した。建前と実際の間にずれが生じている。 明治の「帝国憲法」は一見、立憲君主制を装って国会を開設したが、これは列強に不平等条約を改正させるための格好づけだった。「与党に当たる存在は即ち薩長勢力が形成する政府で、国会は野党のガス抜きのためにある。ここで物事を決めさせてはならない。国家のことは、明治憲法の定めるとおり、『天皇が総攬する』」と伊藤博文たちは思っていたに違いない。そして、個人は権利より義務を強調された。明治の国会が開かれる直前、1890年11月に文部大臣に下付(「下賜」と言うのだそうだ)された教育勅語では、天皇は国民を「朕の臣民」と呼んで、国家、天皇に尽くすべきことを説いたのである。 このねじれは今に残る。日本では今でも、国会での審議の結果、予算案が修正されたためしがない。予算案は政府が与党と事前にもんだ上で国会に提出し、そのまま通す。英国では、国王の出費を牽制するために貴族たちが議会を作ったし、今の米国では議会が予算を策定する建前でスタッフも大勢いる。日本では、「財務省の作った数百ページに及ぶ予算案を修正でもしようものなら、整合性を取るため別の個所も修正しなければならず、それは到底できない」という理屈で、政府と与党の権益を守っている。コンピューターの発達した現代では、修正、印刷は簡単だろうに。 現在の憲法の第41条には、「国会は、国権の最高機関」と書いてある。実際は、政府と与党が最高の権力を独占して野党の介入を許さないのだから、建前と実際はねじれているのである。
「翻訳文化」の弊
明治維新で、科学・学問の多くが、ヨーロッパから輸入された。初めは今の東大でも外国人教師が大勢いたが、欧米の書物は大々的に日本語に翻訳されるようになった。ギリシャのツキジデスも岩波文庫で読めるから、外人に「日本人はギリシャ・ローマの古典を知っている」と驚愕されるのだ。もっとも、「ツ・キ・ジ・デ・ス」と発音しても、外人には通用しないのだが。 これが戦後の日本でも続いた「教養主義」の伝統となる。岩波文庫の類は全部読破・暗記していて、日本の現実とは縁遠い、リベラリズムとかヒューマニズムをふりかざす。ヒュームとかミルとかを自分の親分に仕立てて、自分を日本での序列の先頭に置こうとする。マルクシズムも、それに悪用された感があって、今でもマルクスや資本論をふりかざして我々を手なづけようとする学者がいる。江戸時代の朱子学と同様、舶来の思想、学問をふりかざして、国内を仕切ろうというのだ。 これは、西欧近代の科学精神、合理主義とは馴染まない、教条主義、独善で、自分の頭で考えていないし、日本の現実にも合わない。使い物にならないのだ。