「日本がダメなら海外へ」は通用しない…元・味の素マーケティングマネージャーが教える、海外ビジネスでの“勝ちパターン”
「つくれば売れた」時代は過ぎ去り、いまや「絶対に買いたいものはあまりない」時代。従来の考え方で商品を開発し販売しようとしても、かつてのようなヒットを望むことはできません。モノを売るには、今日において求められるマーケティングを考える必要があります。中島広数氏の著書『グローバルで通用する「日本式」マーケティング』(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋し、今回は「グローバルマーケティング」の歴史と変化を見ていきましょう。
ネット普及により、グローバルマーケティングの概念が変わった
『1からのグローバル・マーケティング』(碩学舎)によると、国を超えたマーケティングは、第二次世界大戦後の1950年代にアメリカではじまっています。 当初はアメリカ企業がヨーロッパや日本などに輸出をするにあたってマーケティングの考えを適用し、「輸出マーケティング」という形で展開されます。そこでは国内と海外という異なる環境によってマーケティングがどう異なるのかに関心が集まり、環境論的アプローチが重視されます。 その後、1970年代に入ると、多国籍企業化したアメリカの巨大製造業が主役となり、単に輸出を行うという段階を超え、多数の国に生産と販売の拠点を持つ、企業の国際マーケティングが展開されます。その際、課題となったのが本国と進出した国の間、また進出した多数国間でのマーケティングの標準化・現地化などです。 さらに進んで1990年代には、欧米の企業に加え、日本の多国籍企業も、世界的な生産・販売拠点の配置を終え、全地球的な視野で全体の調整や統合を考えるグローバルマーケティングが展開されることになります。 そして2000年代に入ると、先進国市場の成長に限界が見えはじめる一方、中国やインド、ロシア、ブラジルをはじめとする新興国市場の可能性が注目されるようになり、先進国中心のマーケティングから、全地球的な規模のマーケティングへと変化してきます。 こうした流れは今も同様で、日本式グローバルマーケティングにおいても、 (1)日本国内でまずヒットする (2)海外に輸出される (3)現地化する (4)多国化する (5)世界規模に広がっていく というサイクル自体は、今後も同じサイクルが続くと思います。しかしながら、大きな変化の1つは、「情報が一気に世界中に広がる」という点です。 たとえば、日本で何が売れているのかについては香港人も中国人もすぐに調べられるし、知ることができますから、日本で売れていない商品を輸出しようとしても、それは不可能です。彼らが欲しいのは日本で売れている、日本のナンバーワンであり、もしそうであれば今日のように情報が一気に広がる時代には、東京も上海も北京も香港も台北の消費者も、同じような情報を得て、同じような購買行動を起こす可能性が高いのです。 少し前に、日本でもタピオカミルクティが流行しました。これは元々は台湾のものですが、ミルクティー自体は香港でも飲まれており、少なくとも台湾や香港で流行すると、それが中国大陸や日本にも伝わり、ほぼ同時進行のような形で流行するという現象が起きています。 では、なぜこんなことが可能なのかというと、情報の伝わり方ももちろんありますが、もう1つの理由はそれぞれの国が豊かになり、自国の通貨が強くなったこともあります。日本と台湾、香港と中国では、食べたり飲んだりした時のお金の価値がほぼ同じくらいになったことで、それぞれの国でヒットしたものが、ほとんど時差なく輸出され、受け入れられやすくなったという理由もあります。 その意味ではマーケティング活動のセオリー自体に大きな変化はありませんが、インターネットの普及によって情報の伝わり方が早くなったことと、元や台湾ドル、香港ドルなどの価値がそれなりに上がり、購買力が高まったことが、私たちより上の世代のマーケティングの常識とは大きく変わってきたというのは頭に入れておくことが必要になります。