片岡千之助が語る初大河『光る君へ』〈道長に奪われ尽くした生涯〉21歳でこの世を去る敦康親王を演じて
◆思い残すことがなくなり世を去った <第45回。敦康親王はこの世を去る。享年21。彰子31歳。道長によって奪われ尽くされた生涯だったのか> 自身は21歳で死ぬとは思っていなかっただろう。しかし、僕は見方を変えると、いいタイミングで逝ったのではないかと想像します。 皇太后になった彰子と、結果的に最後となる対面シーンがあります。敦康親王は「かつてははかなげで消え入りそうでしたが、今は太い芯をお持ちになっているような」と語りかけます。彼はほっとするのです。表情や感情を周囲に表さなかった人なのに、今となっては国母となり、風格を身に着け、きりっとしている。彼が表立って何かをやったわけではないけれど、慕う人に対して安心できるというのは、とてもよかったと思います。敦康親王が東宮になれないことがわかった時、彰子が反抗する時など、どんどん表立って気持ちを出されていくシーンを見ていると、彼は彼女にしっかりしていただきたいと願っていたのでしょう。 私事ですが、今年2月に母方の祖母を亡くしました。亡くなる1週間前は元気で、僕が主演の時代劇映画『約束』の完成披露を観に来てくれました。終わって家族で食事をした時、「とにかく安心した」と言ってくれました。その4日後に突然亡くなりました。「最後に千之助の晴れ姿を見て安心したのでしょう」と母に言われました。「ほっとして思い残すことがなくなり世を去る」というのが気持ち的に通じると感じました。
◆歌舞伎で得たものが生きた <歌舞伎俳優の家には代々大切にしているお芝居がある。片岡家・松嶋屋は、悲運の天神様、菅原道真をめぐる人間模様を描いた演目『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』。中心人物は菅丞相(かんしょうじょう/道真がモデル)。千之助さんは、20年2月歌舞伎座で、菅丞相(仁左衛門さん)が流罪に問われる悲運の契機となる養女・苅屋姫(かりやひめ)を演じた。『光る君へ』『菅原伝授手習鑑』、平安時代の同じような時期の話である> 敦康親王を演じていて、刈谷姫をやった時を思い出しました。平安時代、おーおーという感覚が湧きました。聞きなれている言葉などもありましたし……。あの時代の匂いや雰囲気、心持ちというものは、歌舞伎で得たものが生きました。僕は、彰子の部屋のセットに入ると落ち着くのです。ここで昼寝したいなとか。実際、彰子が小さい時の敦康親王を思い出し「ここでお昼寝しておりましたのに」と語るシーンがあるのですが、「本当にいい気持ちだったろうな」と分かります。 <千之助さんはもちろん、第1回から『光る君へ』を見ている。一視聴者として好きなキャラクターは誰ですか?> むずかしいですね。最初からでいうと、ききょう/清少納言(せいしょうなごん)のファーストサマーウイカさんでしょうか。僕が言うのは僭越ですが、いい意味で強烈な印象を持たせられました。作品にかけがえのないキャラクターです。ききょうは、敦康親王の実母、定子に仕えていました。だから、「まだあきらめちゃけません、東宮になれないことを」と彼に言う場面は、「すごいな。貪欲だな」と心に残っています。 演技でいうと、役柄の影響もありますが道長の妻源倫子(ともこ)の黒木華さん。僕の役からすると義理のおばあさんに当たるような存在。この作品でご一緒させていただく前から存じ上げていましたが、今回リハーサルや本番での演技を見ていると、あの目の利かせ方で、狭い社会の宮廷で生き抜くためきりきりしている様子がひしと伝わってきます。 そのようなところを含め、『光る君へ』では、宮中や政の世界での女性の強さや怖さを特に感じます。芯の強い女性たち、そしてはかなくも死んでいく男たち……。 大河ドラマでは珍しいのかもしれませんが、『光る君へ』は戦争や合戦だったり、首をはねたりがないので、見る側は気持ちが入りやすいのではないでしょうか。時代は違いますが、今の社会とリンクして共感するところがあると思います。
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