「壁面に骨片がびっしり刺さっていた…」日本兵2万2000人が死亡した「絶望の戦場」のその後
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。 「当機は間もなく硫黄島に到着します。座席ベルトを確認してください」 2019年9月25日午後1時2分。下降を始めた自衛隊輸送機C130の機内に、アナウンスが流れた。客室乗務員役の武骨な男性隊員の低い声は、「ウー」と唸るようなプロペラの轟音が響く中、なんとか聞き取れた。ハリウッド映画でしか見たことのなかった軍用輸送機の機内。空調機の風でかき回された機内の乾いた空気は、古い路線バスの車内のにおいと似ていた。 埼玉県の航空自衛隊入間基地から硫黄島までの距離は1200キロ超。僕を含む政府派遣の遺骨収集団一行は搭乗前、飛行時間が約2時間40分であると知らされた。旅客機と違い、窓は少ない。だから暗い。僕の席から確認できた窓は8ヵ所だった。メタルグレー一色の壁面は、配線や配管、そして何か分からない突起物が至る所でむき出しになっていた。機体が揺れて、頭などをぶつけたら間違いなく出血するだろう。ヘルメット着用が前提の乗り物だと思った。あくまで軍用機なのだ。搭乗中は起立も移動も禁じられた。それは怪我防止ではなく、機内の装備に関する「軍事機密」保持のためかもしれない、とも思った。 午後1時12分。機体は大きく左に旋回した。その際に、機体の下に広がる青一色の大海原が見えた。次に見えたのは緑一色の景色だった。「こんなに緑豊かな島なのか」。僕は驚いた。 硫黄島は、激戦から七十余年を経て、焦土の島から、ジャングルの島になっていた。僕は、10歳の時に祖父の朽ちた履歴書を見てからの32年間を思い返し、万感の思いに浸った。 僕の祖父は、硫黄島関係部隊の兵士だった。