両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.9
まさに「地獄」の様相を呈している――2021年に発生した軍部によるクーデター以降、ミャンマーでは軍事政権の国軍(ミャンマー軍)と、軍事組織としてのKNLAを有するKNU(カレン民族同盟)やカチン州、シャン州、カヤ州などの武装勢力が組織した反政府(反軍事政権)の連合的武装組織PDFの戦闘が激化している。今年に入り、軍事政権はついに18歳以上の国民を徴兵するとまで発表した。 2024年現在、ミャンマーに向けられる視線は「反民主的な軍事政権VS民主化を求めるレジスタンス的武装勢力」の構図一色に塗りつぶされているが、はたしてクーデターが発生する前のミャンマー、そのディテールに目を向けていた者がどれほどいただろうか。 本連載は、今では顧みられることもなくなったいくつかの出来事と、ふたつの腕で身体を引きずるように歩くカレン族の牧師を支えた日本人武道家を紹介するささやかな記録である。
欧米流のやり方
KNLAの駐屯地と同じように、まだ十代に見える若者が、緊張の面持ちで茶菓子を運んできた。 「その一方だ。兵卒の仏教徒たちが、彼らの敬愛するお坊さんを呼びたいと願ったとき、あるいは仏教徒の支援団体から協力を得るために動いたとき、KNLAの上層部は明らかに冷淡だった。だが、口では言うんだ、これぞ欧米流のやり方だな。『宗教的な問題じゃない。ミャンマー軍に通じているスパイが紛れ込んでいるかもしれないから、精査するための時間をくれ』と……」 だが、ミャインジーグー僧正には、その「お為ごかし」が通用しなかったという。なぜなら、僧正はKNLA上がりの仏教指導者だったからである。僧正は、タイとミャンマーの国境沿いに次々と仏塔を建て、これまでキリスト教系の国際NGOに取り込まれがちだったカレン難民の受け皿として、仏教徒のカレン族のためのキャンプを設置した。それらの活動と比例するように、KNLA上層部による「欧米流のやり方」を使った圧力も強まっていったという。 一般に、ミャインジーグー僧正を象徴としたDKBA(カレン仏教徒軍)が組織された直接のきっかけは、僧正が各地のKNLA駐屯地の付近に仏塔の建立を始めたことだといわれる。