両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.9
証拠
だが、それらの一般的な見解を伝えると、将校は饒舌な物言いから一転し、言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。 「暗殺計画の確たる証拠はある。我々はその証拠を持っているが、いまDKBAとKNLAは協調関係にあるので、それについては明かせない。ただ、当時のKNLA内部で、キリスト教徒と仏教徒を原因とするトラブルが各地で起こって、何人もの死者が出ていたことは疑いようのない事実だ。一度や二度やじゃない。 そして、仏塔をめぐって我々の我慢が限界に達したとき、ミャンマー軍と軍政権、キンニュンのルートから『我々は、仏教徒のカレン族に敬意を払いたい』という旨の接触があったのも事実だ。それでも勘違いしてほしくないのは、政府からそんな話がやってきたからDKBAが生まれたのではないということだ。いいか、前後関係を勘違いしないでほしい。なぜ、DKBAが生まれたのか? 大事なのは、DKBAを生み出したKNLAとその後援者たちの〈侵略的な土壌〉を理解することだ」 しかしそのような状況であっても、彼自身はKNLAから離反しなかった。1994年の12月、ミャインジーグー僧正を旗印にしたDKBA(カレン仏教徒軍)と名乗るカレン族の勢力はKNLAから分裂し、ミャンマー軍とともにKNLAの本拠地マナプロウを攻撃。 この作戦では、これまでKNLAを支えてきた多数の民間人のカレン族(仏教徒)もDKBA側につき、難攻不落とされていたマナプロウはわずか1カ月の戦闘で陥落、続いて要衝ワンカーも落ちた。このとき、日本人義勇兵の〈西山/西岡〉と高部はワンカーを空けていたが、彼らの仲間である日本人義勇兵が戦死している。 (Vol.10に続く)
Project Logic+山本春樹