今と変わらない街並みが明らかに 奈良・御所市 江戸時代の「検地」文書を文化財指定
奈良県御所市教育委員会は、江戸時代中期の寛保2(1742)年に行われた検地の地図や関係文書を「寛保二年御所町検地関係文書」として市の文化財に指定した。市の中心部から北東部一帯にあった御所町にかかわる地図には田畑の面積や収穫高、屋敷、道路などが記され、現在の町並みが江戸時代とほとんど変わらないことが分かるという。 【写真】御所村方地引絵図 指定の内訳は文書3点と地図4点で、市内の旧家で保管されていた。御所町は江戸時代初期に整備され、県中南部の中心地として栄えたと伝わる。元文5(1740)年に葛城川が氾濫し、川の西側一帯が水害に見舞われて当時の文書が失われたため、今回指定を受けた資料は御所町の姿を伝えるまとまった資料としては最も古いという。 検地奉行が年貢の取り立てのために作成を指示した「御所村絵図(えず)」は、御所町と地続きの11の村が描かれ、町の住民が他の村で所有していた田畑や、他の村の住人が町内で所有していた田畑が色分けして記されている。寺社やため池の位置も記載され、当時の御所町周辺の姿をうかがうことができる。「御所村方地引(むらかたじびき)絵図」は田畑一筆ごとに番号を振り、土地情報や所有者が示されている。 また、「御所町並屋敷地引絵図」は、田畑や屋敷を一筆ごとに番号を付けて、面積や所有者を記載。田畑や屋敷は黄色、道路は赤色、川や水路は水色で塗られ、道路の名称や道幅まで記された精密な地図で、碁盤目状に道路が走り、家の間に下水が設けられ、都市計画に沿って計画的に開発されたことをうかがわせている。 文書には検地の準備から終了までの関係資料が時系列で記載され、検地奉行と周辺地域とのやりとりなども収められている。同市教委文化財課の小松明日香技師は「往時の町の歴史がわかり、町の姿を見て知ることもできる一級品の資料」と話している。現在は修復作業を進めており、作業完了後に一般公開する予定。