パリ・コレ頂点のモード界の歴史 狭き門に日本勢が台頭 「御三家」に続くブランドは
俗に日本国内でいう「パリ・コレ」、パリ・ファッションウィーク(PFW)を頂点とする世界のモード界。その表舞台でも、日本勢の活躍が目立っている。その歴史と現在をひもといた。(後藤洋平=朝日新聞編集委員) 【フォトギャラ】パリコレで発表されたヨウジヤマモト、コムデギャルソン、サカイの新作
9月下旬から10月初旬に開催される2025年春夏コレクションには9日間の日程で約110ブランドが主催者に認められた「公式スケジュール」で参加しているが、うち12ブランドが日本勢。この「公式」の門は極めて狭く、世界中の多くのブランドが目指すモードの頂点だ。 アジアの中での日本は、少子高齢化などで市場としての魅力は相対的に失いつつあるが、創造の面では突出している。 日本勢を長年代表するのは、1980年代初頭に参加して「黒の衝撃」と称されたコムデギャルソンとヨウジヤマモト。日本のファッション業界関係者は、このブランドにイッセイミヤケを加えて「御三家」と呼ぶ。コムデギャルソンの川久保玲、ヨウジヤマモトの山本耀司の2人は、創業当時から現在に至るまで自身のブランドのデザインを手がけている。 ファッション界全体を見渡しても、これほど長く世界の第一線に立ち続けるデザイナーはミラノで「モードの帝王」と称されるジョルジオ・アルマーニぐらいではないか。 服飾評論家として長年ファッション界を見つめてきた深井晃子さんは、「日本の素材が海外のブランドに注目されたという点においても川久保さん、耀司さんの功績は大きい」と語る。 2人のデビュー当時、穴のあいたニットや黒ずくめで体のラインを無視したようなゆったりとしたシルエットの服は賛否両論だった。「ボロルック」などとも指摘されたが、一方でその当時から「素材は上質で、なかなかよろしい」という評価だったという。 「あの2人は、それぞれに日本中の生地の産地を見て回って素材を見つけていた。そして、現在に至るまで日本製にこだわっている。それが大きかった」 当時からブランド側から提案して、サプライヤーにオリジナルの生地を発注する方式だった。それまで日本の素材といえばシルクだったというが、「特に川久保さんはコットンもウールも何もかも、日本で作った素材を使った」