「生き延びることが本当は一番の正義」…白石和彌監督、集団抗争時代劇「十一人の賊軍」を語る
そして触れたのは、白石の師である若松孝二監督の映画「キャタピラー」(2010年)で、篠原勝之が演じる男のこと。戦中は奇矯なふるまいを見せているが、戦争が終わると様子が変わる。「そういうことも終わってみると実は正義かもしれない、ということをちゃんとやっぱり言うべきなんでしょうね、本当は」
切り捨てられる者、切り捨てる者
たくさんの登場人物が出てくるが、監督自身が心を寄せた人物はいるのだろうか。尋ねると、「それは結構、平等ですね」。
ただ、当然ながら、主演の山田と仲野が演じる2人への「思い入れは強い」という。「(山田が演じる)『政』なんか、もうずっと自分だけ助かろうとしていて、とても主役とは思えないキャラクターなんだけれど、でもやっぱり最後の最後に……。ああいうところがやっぱり人間だな、とも思う」
仲野が演じる兵士郎は、藩を思う気持ちをたぎらせているが、「でも、そういう人たちも、政治のもとでは、やっぱり切り捨てられてくんですよね」。
では切り捨てる側である家老は、どんなふうに描こうとしたのだろうか。「城下で戦を起こさないように最善を尽くしている、僕から見れば、超優秀な政治家というか、多少の犠牲はやむなし、ということはもう当然わかっているというか。(砦へ)送り込んだ侍たちの無事を当然祈っていたりはするんでしょうけど、罪人を行かせていること自体は何とも思ってないんじゃないんですか。プーチンとかも心痛めているとは思えないですもんね。権力ってそういうもの、ということを可視化しているというか」
そこをたんたんと描いているのが、この映画の怖さでもある。「たまたま、この家老が、新発田という小藩で、たまたまこういう状況に置かれたら選んでいった道で、何かこの人が特殊なんじゃなくて、この役割に就いていた人が誰であれ、そういうことを犯す可能性があるという話ですよ。それがやっぱり戦争なんだと思うんですよ」
ウクライナ侵略でも、受刑者が兵士として駆り出された。最初はロシアの民間軍事会社「ワグネル」が勧誘して前線に大量投入、後にワグネルの役割をロシア国防省が引き継いだ。侵略の長期化により、ウクライナ側もその手法の踏襲を余儀なくされたと報じられている。